秋元通信

「叱る」の役割 【アメとムチは、どちらが効果的なのか?】

  • 2017.2.16

510011筆者が中学生の時の経験です。
 
私が通っていた中学校は給食でしたが、箸は生徒が持参するのが決まりであり、また割り箸はNGとされていました。例外として、箸を忘れた生徒は割り箸を使うことを黙認されていました。
ある時、数日続けて割り箸を使う同級生がいました。たぶん、彼は忘れたのではなく、箸を持参するのがバカバカしくなったのだと思います。
 
私の担任は、30代の女性教師でした。
当然、先生は同級生を注意します。ただ、その日の注意は、あまりに激しく叱責に近いものでした。
注意された同級生は、腹に据えかねたのでしょう。
一言言い返しました。
 
「だって、先生もいつも割り箸使ってんじゃん!?」
 
直後、先生は強烈な平手打ちを同級生にくらわせました(当時は体罰に寛容でしたし…)。
教室内は、凍りついたような、しらけたような空気に支配されました。普段なら賑やかな昼食タイムですが、誰も喋りません。
 
放課後、先生は私を呼び出しました。
そして、こう言ったのです。
 
「坂田(※筆者)は分かるよな?」
 
当時、私は学級委員長であり、先生としては私を味方につけておきたかったのかもしれません。
 
「分かりません」
 
正直に私は答えました。
先生は、イラつきを隠さず、怒りをこめた口調で言いました。
 
「生徒と教師は違う。生徒のルールは、教師のルールではない」
 
皆さま、どう思いますか…??
 
 
前置きが長くなりました。
「アメとムチは、どちらが効果的なのか?」連載三回目は、ムチの役割を考えましょう。
 
 
明治初期の教育論を調べると、興味深い研究が見つかりました。ご紹介しましょう。
 
明治初期における教育の状況をおさらいします。
それまで、教育は寺子屋や私塾といった学識あふれたヒトに依存していました。諸藩、もしくは朝廷や幕府といった(当時の)官公庁にあたる機関が教育を行うこともありましたが、いずれも近代の学校教育とは異なります。国が国民に広く教育を提供する仕組みは、時が明治に移って初めて実現されました。
明治初期、つまり学校教育の黎明期に、政府が教師に対して配布した教育の標準化のためのマニュアルが「学校管理法書」でした。
 
明治初期の「学校管理法書」を読むと、現代の感覚だと、「えっ…!!」と思うようなことが書かれています。生徒と教師の関係について、ご紹介しましょう。
 
前提として、少年少女(生徒)は、犯罪者にならない存在であると、「学校管理法書」は述べます。
何故か?と言えば、 少年法に守られているからですね。
 
でも、イケナイことをする少年少女はいます。「学校管理法書」では、そういった少年少女を、「犯罪者ではない我々と同じ存在ではなく、かと言って犯罪者でもなく、その境界にいるもの」とします。本記事では、このようなイケナイことをした少年少女を、便宜上「準犯罪者」と呼ぶことにします。
 
準犯罪者である少年少女が、犯罪者への道へと進むのか、犯罪者ではない健全な国民へと成長するのかは、教師の選択の問題であるとされました。「選択の問題」という表現がいろいろと怖いですが、つまりは教師には犯罪者を発生させない責任が課せられたことになります。
 
ところで、準犯罪者とは刑法を犯した少年少女だけを指すものではありません。例えば当時、「小学生徒心得」というルールが政府より発行されていましたが、これを破っちゃうやんちゃな小学生も、準犯罪者です。もちろん、学校で守らなければならないルールはこれだけではなく、明文化されている/いないと問わず、またグレーゾーンな事柄も含めていろいろとあるわけです。
当時の教師は、もろもろのルールに基づき、自身で判決を下し、生徒たちに罰を与える権限を与えられていました。
そうです、明治初期の「学校管理法書」では、教師は同時に学校内における裁判官でもあったわけです。
 

「教育」
教え育てること。知識、技術などを教え授けること。人を導いて善良な人間とすること。人間に内在する素質、能力を発展させ、これを助長する作用。人間を望ましい姿に変化させ、価値を実現させる活動。
 
(ブリタニカ国際大百科事典より)

 
辞書で「教育」を引けば、このように記載されています。
ここに書かれた教育の定義と、教師=裁判官という姿は、齟齬をきたしているように感じませんか?
 
 
冒頭のエピソードに戻りましょう。
法(ルール)と秩序を司る裁判官という観点で言えば、「生徒と教師は違う。生徒のルールは、教師のルールではない」という担任教師の考え方は、間違っていないかもしれません。
ただし、私を含めたクラス内の全生徒が、先生の発言に納得できなかったという観点から言えば、教育という役割を果たしていません。
 
本記事では、「ムチ」≒「叱る」、「ムチ」≒「罰」として議論しています。「罰」そのものが目的となる「叱る」は教育ではないでしょうし、「ルールを守らせること」は教育の要素のひとつではあっても、ゴールではないはずです。
 
 
「学校管理法書」は、明治中期になると変更が加えられます。
 
「教師は医者である。罰は逸脱者に対する矯正、訓練を行う治療手段とされるべきである」
 
この続きは、またいずれお届けいたしましょう。
お楽しみに!
 

2017年2月1号_教師と裁判官は違うはず.png
 
 

参考

 

【アメとムチは、どちらが効果的なのか?】バックナンバー
  1. 「アメとムチ」は、どちらが効果的なのか?
  2. 褒めると損をする!?事故が減らせない運送会社
     
参考/出典

月刊学校教育相談 2011年9月号 ほんの森出版

教育社会学研究 第98集 2016 日本教育社会学会編
「生徒への罰からみる教師像の成立と変容 ー明治前期の「学校管理法書」に着目してー
水谷 智彦

児童心理 2016年6月号 No.1024 金子書房
「小学3・4年生の家庭教育」


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