秋元通信

その「がんばっている」、間違っているかも!?

  • 2019.1.31

「お前ががんばっているのは分かる。でもな、俺がお前に求めたい『がんばっている』って、そういうことじゃないんだよ…」

 
私は当時、量販店向け商社部門の九州地域部長を務めていました。
部長というと偉そうですが。会社は倒産の危機にあり、直属の部下はアルバイトしかいないという、部長とは名ばかりの状況にありました。
 
その時、私は大分県内で新規開店した店舗の販売応援をしていました。部下がいないわけですから、私が売り場に立つしかないわけです。
先の言葉は、本社から私に電話してきた取締役が、私が現場に立っていることを聞き、発した言葉です。
 
ショックでしたね、取締役からこのように言われたことは。
私だって、好き好んで大分の、しかもかなり辺鄙なお店で、売り場に立っているわけではなかったのですから。
 

「自分はこんなにがんばっているのに、なぜ私の『がんばっている』は評価されないんだろう!?」

 
今回は、がんばっていることが、会社や上司、もしくは同僚も含めた周囲から評価されないという、『がんばっているのに評価されない状態』について考えましょう。
 
 
あなたが、『がんばっているのに評価されない状態』とは、どんな状態でしょうか?

  1. 会社や上司、同僚などの「あなたを評価すべき人たち」が「評価する」という行為を行ってくれない。
  2. 評価のミスマッチ。つまり、「あなたを評価すべき人たち」から評価はされているものの、その評価が低いとあなたが感じている。
  3. 自己満足。頑張っていると思っているのはあなただけ。あなたの活動は、「あなたを評価すべき人たち」から診れば、評価に値しない。
  4. あなたのがんばりが、周囲には伝わっていない、もしくは知られていない。

どれもありうる話です。
冒頭挙げた私のエピソードは、3.に該当するのでしょう。
名ばかりとは言え、仮にも部長だった私。自ら店舗を巡回し、自ら販売応援に入る。今だから言えることですが、部下もいない孤独な状態に、私自身どこか悲劇のヒロイン的な自己犠牲とともに、「俺、がんばってる!!」といった自己陶酔を感じていたのも事実です。
 
「お前ががんばっているのは分かる。でもな、俺がお前に求めたい『がんばっている』って、そういうことじゃないんだよ…」
そんな私の心情を知っているからこそ、きっと取締役はこのように私に言ったのでしょう。
 
俺がお前(=私)を部長にしたのは、そんなことをさせるためではない。
部長だったら、部長としての仕事をしなさい。
 
件の取締役は、私にこのように言いたかったのでしょう。
言われてみれば、当たり前のことです。
 
 
少し話が変わります。
経済コンサルタントである木暮太一氏は、「自己内利益」という考え方を提唱しています。
 
「自己内利益=年収・昇進から得られる満足感-必要経費(肉体的・時間的労力や精神的苦痛)」
 
「年収・昇進から得られる満足感」は売上に該当し、「必要経費(肉体的・時間的労力や精神的苦痛)」はコストに該当します。
 
この考え方は、働き方を考える上で、さまざまな応用が効きます。
例えば、同氏によれば、「100万円や200万円の年収アップでは幸福感は続かない」と言います。理由を説明しましょう。
年収がアップすれば、「年収・昇進から得られる満足感」は上がります。しかし、人は変化した環境に対し、良くも悪くも慣れてしまいます。つまり、年収がアップした当初は「年収・昇進から得られる満足感」は一時的に上がるものの、やがて慣れてしまい「年収・昇進から得られる満足感」は下がっていきます。
対して、「必要経費(肉体的・時間的労力や精神的苦痛)」はどうでしょうか。
年収がアップするということは、その分、責任のある仕事を任されるということです。よって、「必要経費(肉体的・時間的労力や精神的苦痛)」もアップしていることでしょう。
 
つまり、コストである「必要経費(肉体的・時間的労力や精神的苦痛)」がアップしているにもかかわらず、売上である「年収・昇進から得られる満足感」が下がっているわけですから、「自己内利益」は少なくなってしまいます。「100万円や200万円の年収アップでは幸福感は続かない」とは、こういう理由です。
 
この「自己内利益」という考え方に、「がんばる」という行為を代入しましょう。
 
仕事を始めた頃は、どんな仕事でも一生懸命取り組みます。慣れていないがゆえに、「必要経費」が掛かり、したがって「自己内利益」も少ない状態ですが、仕事を始めたばかりという覚悟や緊張が、その状態でも努力や研鑽を後押ししてくれます。
やがて仕事に慣れてくると、「自己内利益」を求めるようになります。同時に、好きな仕事と嫌いな仕事、やりたい仕事とやりたくない仕事が生まれ始めます。
この頃は、まだほとんど収入は上がっていないでしょう。つまり、「年収・昇進から得られる満足感」は変わりません。となると、「自己内利益」を上げるためには「必要経費」を下げる必要があります。「必要経費」を手っ取り早く下げるためには、好きな仕事、やりたい仕事だけをやり、嫌いな仕事、やりたくない仕事はしないことです。
 
好きな仕事、やりたい仕事が周囲から評価される仕事だったら良いのですが、そうでない場合は…、これはとても不幸なことです。
 
辞書で「がんばる」の意味を確認してみましょう。
 

【頑張る】グワン‐
[動ラ五(四)]《「が(我)には(張)る」の音変化、また「眼張る」の意からとも。「頑張る」は当て字》
1 困難にめげないで我慢してやり抜く。「一致団結して―・る」
2 自分の考え・意志をどこまでも通そうとする。我(が)を張る。「―・って自説を譲らない」
3 ある場所を占めて動かないでいる。「入り口に警備員が―・っているので入れない」
[可能] がんばれる
(出典:大辞林)

 
「がんばる」という言葉は、「困難にめげないで我慢してやり抜く」ことと、「我を張る」こと、ふたつの意味を持っています。
もしかすると、あなたが「困難にめげないで我慢してやり抜いている」と思っていることも、他人から診れば「我を張っている」だけと見られているかもしれませんよ。
 

「下足番を命じられたら、日本一の下足番になってみろ。そうしたら、誰も君を下足番にしておかぬ」
小林一三(阪急・東宝グループ創業者)

 
『がんばっているのに評価されない状態』は、とても辛いことです。しかし、そもそもがんばるという状態に絶対評価はありません。すべて、あなたの心の中の問題です。
がんばっている/がんばっていないなんて、自問自答する隙があるのならば、自らの職務を最大化する努力をすること。そうすれば、評価は自ずとついてくるということを、小林一三氏の名言は、教えてくれているのではないでしょうか。
 
 
以下、私見です。
私自身は、「がんばれ!」もしくは「がんばっている」という言葉に懐疑的です。迷いを感じている、と言った方が正確かもしれません。
きっかけは、母の闘病でした。白血病に苦しみ、絶望的な状況で、私を含む周囲は「がんばれ!」「諦めるな!」と声を掛けていました。そんな時、普段は弱音を吐かない母がこう漏らしたのです。
 
「お医者さんの言うことを守り、精一杯治療を続けてるのに。これ以上どうやってがんばればいいの…?」
 
私は、自分の身勝手な不安を、励ましという名目で母にぶつけていただけなのかもしれません。
 
話が重くなってしまいました。
人に対して、「がんばっているね!」と声をかけるのは良いことだと思います。
しかし、自分ががんばっているかどうかは、他人が評価することであって、自分で評価してしまうと、辛くなることも多いのではないでしょうか。
 
さて、「がんばる」については、角度を変えてもう少し考える予定です。
次回は、「がんばれ」、つまり励ますことについて考えます。
 
 

参考

 
日経プレミアプラス Vol.12
『経済のしくみから考える 会社が教えてくれない「労働」と「対価」の真実』(木暮太一)


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