秋元通信

あなたの会社の常識は世間の非常識??

  • 2019.3.22

私は以前、外資系システム会社でWebビジネスに関わっていました。
入社した私が、初めての年末を迎えたときのことです。
 
聞くと、同社では年末の大掃除をしたことがないとのこと。
年内最終出勤日は、掃除を行うでも納会を行うでもなく、普通に仕事をして、普通に皆さん帰るのが毎年の流れだそうです。
 

「別に納会までやれとは言わないですけど。年末だし、事務所内の掃除くらいしませんか?」

 
ふと発した私の言葉に、食いついたのが総務部長でした。
彼女は、ずっと外資系企業に勤めていたため、日本企業的な年末行事を経験したことがありません。これは面白そうだと、年内最終日に大掃除&納会を、大々的に行うことになりました。
 
迎えた最終日。
総務部長に限らず、お掃除などしたことがないプロパー社員たちは、いそいそ…、というか、大盛り上がりで掃除をしています。とは言え、事務所の掃除なんてしたことがない人たちですから、要領の悪いこと、この上ないのですが。まあ本人たちが楽しそうなんで良かったよかったと思っていたところ…
 
昼を過ぎた頃、私は直属の部長に呼びつけられます。仕事でも有能、人格も高潔、私がとても尊敬している部長です。
いつになく厳しい顔をした上司の言葉に、私は面食らいました。
 

「お前さ、仕事している人だっているんだよ! 掃除なんて業者に任せればいいだろ? サラリーマンの仕事に、掃除なんて含まれていないんだ!! もう止めさせろ!!!」

 
 
「うちの会社の常識は、世間の非常識」なんて言い方をすることはありませんか?
会社の中では常識と思われている感覚、もしくは習慣が、世間のそれと大きく異なっていることを揶揄している言葉です。
この言葉のように、世間とのズレを認識していいれば、それはまだOK。
中には、世間とのズレを認識していない職場も、決して少なくありません。
 
今回は、常識について考えましょう。
 
 

【常識】
一般の社会人が共通にもつ、またはもつべき普通の知識・意見や判断力。
「ーがない人」「ーで考えればわかる」「ーに欠けた振る舞い」「ー外れ」
(補説)common senseの訳語として明治時代から普及。

(出典:デジタル大辞林)

 
 
「普通の知識・意見や判断力」というのが、分かるようで分からない気がします。
「普通」ってどういうことでしょうね?
 
 

『常識とは18歳までに身に付けた偏見のコレクションのことを言う』
(アルベルト・アインシュタイン)

 
 
なるほど、さすがアインシュタイン。うまいことを言うものです。
「普通の知識・意見や判断力」の「普通」というのは、実は客観的かつ絶対的な「ものさし」がないものです。だからこそ、アインシュタインは、「普通」ではなく「偏見」という言葉を使って、常識を説明したのではないでしょうか。
 
 
例えば、ブラック企業においては、一般的な企業では非常識なしきたりが、常識としてまかり通っています。暴力的な目標達成ノルマ(パワハラの一種)や、長時間労働を強制する思想(モラハラの一種)などです。
よく勘違いされることですが、ブラック企業で働く人は決して悪人ではありません(いや、中には悪人もいるでしょうが…)。「それが当たり前」という非常識な常識を刷り込まれることによって、例えばパワハラをパワハラと思わうこともなく、モラハラに該当することを、「これがあるべき社会人の姿である」と思い込んでいるわけです。
 
常識は、その人が社会と接触することで形成されるものです。
その社会が歪んだものであったら、どうなりますか? 当然、その人は歪んだ常識を身に付けることになります。
ここで言う「社会」イコール「会社」であった場合、先に挙げた「うちの会社の常識は、世間の非常識」という状態が形成されるのでしょう。
 
 
この「会社の常識」というやつは、時として悲劇的とも喜劇的とも言えるエピソードを生むことがあります。
私の知人で、保険会社で広報を担当していた方がいました。
彼女は、Googleに転職します。栄転かと思いきや、彼女はほどなくしてGoogleを辞めてしまいます。
「なぜGoogleを辞めたの?」
尋ねる私に、彼女は答えました。
「マジメに仕事をしているだけなのに、評価が下がるって信じられない」
 
聞くと、彼女はGoogleが行う20%ルールに適応できなかったようです。
20%ルールとは、業務時間中の20%を、自分の通常業務や組織の枠にとらわれず、自由な発想で自分が行いたいと考える研究や開発に充てるものです。20%ルールによって、Gmailが生み出されたのは有名なエピソードです。ところが、彼女は「自らの仕事に集中して何が悪い!?」と考え、20%ルールを受け入れられませんでした。
その結果、社内における彼女の評価は下がりました。
会社の常識と個人の常識のギャップが生んだ悲劇(喜劇?)と言えるでしょう。
 
 
ところで、「常識が乏しいこと」。もしくは「非常識であること」のリスクとは、何でしょうか?
それが会社であったら?、それが社員であったら?、どのようなリスクをはらむのでしょうか?
 
答えのひとつは、排除されることです。
例えば、「私のおもちゃは私のもの。他人のおもちゃも私のもの」といった公正とは言いかねる常識に支配された子どもは、子供同士のコミュニティから排除されます。「○○ちゃんとは遊びたくない!」って状態ですね。
例えば、支払いサイト=120日を取引基本条件として定めている会社は、取引先から決して好意的には思われないでしょう(今どき、そんな会社はないと思いますが)。
 
 
世間で通用する常識、つまり最大公約数の常識を持つことは、世渡りをする上でとても大切なことです。
一方で、常識を疑い、世間的には非常識と思われるようなことを行うことで、成長を遂げるケースも多々あります。先に挙げた、Googleの20%ルールは、その好例と言えるでしょう。
 
最大公約数の常識を持つことと、常識を疑い非常識を受け入れるセンスを持つことは矛盾するのでしょうか?
私はそうは思いません。鍵は、多様性にあります。
 
自分の中にある常識とは、別の常識が存在することを知ること。
自分の中にある常識とは異なる常識に対して、価値を認めること。
 
すなわち多様性を知り、認めることこそが、常識という型にとらわれず、逆に常識を武器として活用する第一歩となるのではないでしょうか。
 
 
常識って怖いですね。
「あの人は常識人だから」と敬われることもあれば、冒頭に挙げた元上司のように、評価を下げる原因になることもあるのが、常識の怖さではないでしょうか。
 
 
ところで。
皆さんは、パスタって作り置きするものだと思いますか?
私の連れは、最初にパスタを作ってから、他のおかずを作り始めます。そのため、食事を開始するときには、パスタがモサモサしてしまいます。
彼女の家庭では、鮮度の優先度は、おかず>パスタだったらしく。
私はとても嫌なんですけど…、これも常識の差なんでしょう(泣)
 
常識については、また別の切り口でテーマとして取り上げましょう。
お楽しみに!


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