秋元通信

ぶら下がり社員を考える【後編 / ぶら下がり社員が生まれる理由】

  • 2019.5.31

私は、趣味と実益を兼ねて、自転車関係のプロジェクトに参加しています。
プロジェクトでは、安全に関係するルールを啓蒙する活動、サイクリングイベントの運営や、サイクルツーリズムを利用した地方活性化支援なども行っています。プロジェクトに関係するメンバーには、さまざまな業界で活躍する人たちが集まります。
総じて、参加する方々は意欲的です。議論をすれば熱く意見が飛び交い、また活動にも積極的に参加される方ばかりです。
 
ところが。
そういう方の中には、自ら「自分はぶら下がり社員である」ことを公言する方がいます。
私から診れば、とても優秀な方々であり、ぶら下がり社員であることなど、まるで信じられない方々です。
 
『ぶら下がり社員を考える』、後編は、ぶら下がり社員が生まれる理由を考えましょう。
 
 
2011年に発刊された書籍『「新・ぶら下がり社員」症候群』(吉田実/東洋経済新報社)をご紹介しましょう。
「辞めません。でも、頑張りません」という同書のキャッチコピーは、ぶら下がり社員を象徴するキーワードとして、今でもよく取り上げられます。
 
同書では、ぶら下がり社員になるポイントは30歳前後にあるとし、論語の有名な一節を取り上げています。
 
 

子曰く、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑はず。五十にして天命を知る。六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従ひて矩(のり)を踰えず(こえず) 。

 
読み下し:
孔子先生はおっしゃいました。「私は十五歳のときに学問を志し始めました。三十歳にして独り立ちをし、四十歳で迷うことがなくなりました。五十歳のときに天命を理解し、六十歳のときに人の意見を素直に聞けるようになりました。七十歳の時にやっと自分の思うままに行動をしても人の道を踏み外すことがなくなりました」と。

※書き下し文および現代語訳:http://manapedia.jp/text/1887

 
孔子は、30歳で独立したと語っています。
同書でも、30歳前後というのは、「与えられる」時期から、「与える」時期に変わるタイミングであり、成果を出すことを学ぶ時期であるとしています。
この時期に適切な学びと気づきを得ることができなかったり、もしくはモチベーションをへし折られるような出来事に遭遇してしまうと、ぶら下がり社員化する可能性があるとしています。
 
 
なぜ、ぶら下がり社員は、生まれるのでしょうか?
これを考えるのは簡単なことではありません。
 
例えば、もともと本人が持っている素養であるケースもあるでしょう。
少し話が飛びますが、例えば現在一部の幼稚園、小学校などでは、運動会のかけっこ(徒競走)で順位を付けないところがあります。負けた児童のメンタリティを考えて…、とのことですが。
この例は極端にしても、競争をする経験を十分に積んできていない人、もしくは競争そのものに疑問を呈するような教育を受けてくれば、本人がもともと持っている性格などによって、ぶら下がり社員予備軍とも言うべき、ぶら下がり社員になりやすい素養を持ってしまうことは、十分に考えられます。
 
社会人経験の中で、ぶら下がり社員になるきっかけとなる経験をしてしまったケースもあるでしょう。
例えば、ずっと頑張ってきたのに、突然社長の息子が入社し、自分よりも上位の役職についたケース。
例えば、自分よりも劣っていると考えていた後輩に、出世を抜かされたケース。
部下や組織の不祥事により、不本意な降格を経験させられたケースも考えられます。
 
 
ここに挙げたのは、人事的に不本意な経験をしたケースですが、自分の意欲や努力が否定されたケースも考えられます。
 
何度も何度も、改善提案をしてきたのに、すべて拒否されてきたケース。
自分自身は営業目標等を達成し、成果を上げてきたのに、会社の業績が悪く、給与が下がったケース。
上司に、「君は考えなくていい。会社の歯車としてきちんと自分の職務を果たしなさい」と言われたことから、ぶら下がり社員化した自分自身を自覚した、なんていうケースも聞いたことがあります。
 
 
私の仲間では、人事異動の打診がきっかけであったという方がいます。
製造部から営業部への異動を打診された彼は、異動を拒否します。結果、「成長意欲のない奴」というレッテルを貼られた彼は、昇進がないまま、現部署にずっと残されています。
そんな時に、プライベートにおいて自転車活動という活躍の場を得た彼は、彼自身の能力をフルに発揮していきます。
結果、彼のワークライフバランスは、極端にライフに偏ることとなり、仕事ではぶら下がり社員化しました。
 
 
ただし、ここで少し考えてください。
ぶら下がり社員って、そもそも会社にとって、絶対的な悪なのでしょうか?
 
パレートの法則を考えましょう。パレートの法則ではなく、80:20の法則や、働きアリの法則というと、ピンとくる方もいるでしょう。
 
ある組織における売上の8割は、2割の人が優秀な人材が稼いでいて、残り8割の凡庸な人(とあえて表現します)が、2割の売上を生んでいる。しかし、優秀な2割を抜擢し別組織化すると、結局また優秀な2割と凡庸な8割チームに別れてしまう…というものです。
 
パレートの法則とは、厳格な研究によって生み出された法則ではなく、経験則から観測されたものです。しかし、思い当たる節がある方も多いことでしょう。
 
 
とても残念なことではありますが、組織を優秀な人材だけでは構成するのはとても困難です。
総体的に優秀な人材が集まっている組織は存在しても、全員が100点満点の組織など、世の中には、きっと存在しません。
 
以前の秋元通信で、マクドナルドにおけるマニュアルの強みは、「従業員全員を60点にすること」(「採用基準」という呪縛) と書いたことがあります。

全員が、100点満点の組織を作り上げることは、無理です。
全員が、80点の組織を作り上げることも、かなり困難でしょう。
しかし、全員が60点の組織であれば、それは現実的であり、可能と言えます。
 
ぶら下がり社員に、何点をつけるべきか?
これは難しいです。しかし、言われたことはやっているわけですから、60点以上の評価は与えてもよいのではないでしょうか。
 
だとすれば、ぶら下がり社員は、会社にとって悪とは言えないはずです。むしろ、マクドナルドのように、60点の社員をどうやって効率的に活用するのかを考えたほうが、組織であり会社にとっては、生産的です。
 
繰り返しになりますが、ぶら下がり社員になる原因はさまざまです。
そして、その原因はひとつとは限らず、複合的であるケースもあります。さらに言えば、会社の体制や体質が、ぶら下がり社員を生み出してしまうケースもあります。
 
中盤に挙げたエピソードを思い出してください。
「製造部から営業部への異動を打診」する会社は、いけないことをしたのでしょうか?
異動を拒否した当人に、マイナス評価を下すことも、会社としては致し方ないことではないでしょうか?
 
 
例えば、ベンチャー企業では、意欲ある社員が多数在籍しているケースがあります。「うちにはぶら下がり社員などいない!」と断言する社長に出会ったこともあります。
しかし、ベンチャー企業がある程度の市場と売上を獲得し、成長が鈍化すると、やがてぶら下がり社員が生まれ始めます。
 
ぶら下がり社員問題を考えた時、必ず登場するのが、このジレンマです。
『「新・ぶら下がり社員」症候群』においては、ぶら下がり社員は、以下3つの諦めのどれか、もしくは複数を抱えていると指摘しています。

  • 自分への諦め 「自分には無理」
  • 組織への諦め 「この会社は変わらない」
  • 未来への諦め 「いくら頑張っても、自分の将来はたかがしれている」

ベンチャー企業に働く社員は、会社の成長や可能性を、自らの才能や未来と重ねる(人によっては同一視する)傾向があります。従って、未来に対しても、組織に対しても、そして自分自身に対しても、諦めどころか大きな可能性を感じています。
 
しかし、そもそも絶対に幻滅されない組織など無理です。
永遠に成長し続ける会社など、夢物語に過ぎません。
「諦めそうな」社員、つまりはぶら下がり社員になりそうな社員に対して、会社が「いや、それは違うよ! 君には大きな可能性が秘められているんだ!!」などと叱咤激励し続けるのは、そもそも会社に依存し過ぎていると言えます。
 
確かに、ぶら下がり社員は、会社にとって頭の痛い問題です。
ぶら下がり社員を減らす努力も必要でしょう。
 
しかし、ぶら下がり社員と上手に付き合う方法、上手にマネジメントする方法を考えず、ぶら下がり社員をいたずらに悪者視することは、会社にとって生産的な考え方とは思えません。
 
社員のメンタリティ、成長といったテーマは、企業にとって継続的な課題です。
本テーマについては、別の角度、別のテーマから、今後も考えていきます。
お楽しみに!
 
 
 

関連記事

 
ぶら下がり社員を考える 【前編 / ぶら下がり社員とフリーライダー】


関連記事

■数値や単位を入力してください。
■変換結果
■数値や単位を入力してください。
■変換結果