「地図が読める女性は、1割程度しかいない」
何年か前に流行った、『話を聞かない男、地図が読めない女』に登場する言葉です。この本、日本では279万部も売れたそうです。
地図が読めない、つまりは方向音痴の方って、必ず身近にいませんか?
なぜか、方向音痴の人って、自分が方向音痴であることを楽しげに話す方が多い気がします。なぜでしょうね?
今回は、方向音痴について考えましょう。
原始社会においては、男性は狩猟を行い、女性は家(集落)を守るという役割分担がありました。狩猟を行うわけですから、当然遠くまで獲物を求めて移動します。方向音痴な狩人は、集落に食料を持ち帰れないので、死活問題となります。
こうして、男性は優れた方向感覚を身に付け、逆に集落を守る役目を担った女性は、方向感覚がもともと鈍い…、というのが同書で語られた、女性が地図を読めない理由です。
同書は、男女の性差の違いを、誰もが「あるよね~!」と共感できるような、おもしろおかしいエピソードを交えながら、脳科学やホルモン分泌などの観点から解説した心理学の本でした。
この「女性は方向音痴」という認知は、一般的にもそのように思っている方が多いのかもしれませんが(だからこそ、同書はベストセラーになったのでしょう)、実はどうも眉唾です。
いくつか研究文献をあたったのですが、「女性の方が方向音痴が多い」ことを明確に示すことができた文献は見つけられませんでした。「女性のほうが、やや方向音痴が多い…かな?」といった文献はあるのですが。
女性に方向音痴が多いと断言した本はありますが、どうも『話を聞かない男、地図が読めない女』で論じられた男性狩人出身論を根拠にしているようですね。
では、方向音痴の原因とは、なんでしょうか?
方向音痴を研究した、心理学の過去をたどりながら解説しましょう。
複数の立方体を積み上げた積み木図形について、違う方向からの姿を見せ、お題の積み木と同じものを選択させる問題があります。これを、心理回転問題とか、積み木の方向知覚などと呼びます。空間把握能力を測る問題です。
旧来の心理学では、方向音痴に対する原因のひとつを、心理回転問題に求めていました。心理回転問題が苦手な人=方向音痴という考え方ですね。
しかし近年研究が進み、どうもこれも眉唾になってきました。
というのは、「自分は方向音痴です!」と言っている方に対し、心理回転問題など、空間把握能力を測定できるテストを行っても、それほど悪い結果は出なかったからです。つまり、自称「方向音痴」と、自称「方向感覚バッチリ!」の人の間に、明らかな空間把握能力の差はなかったのです。
次に方向音痴の原因として考えられたのは、頭の中に自分なりの地図を描くことができるかどうかです。
人は、自分の生活圏に対する自分なりの地図を持っています。これを、「認知地図」と呼びます。
認知地図には、二種類の認知方法があります。
ひとつは、街を俯瞰的にイメージしているサーベイマップ的認知。
もうひとつが、移動したときの視点を連続した、ルートマップ的認知です。
ルートマップ的認知は、GoogleMapsのストリートビューのようなイメージ。
対して、サーベイマップ的認知は、脳内に地図帳を持っているイメージになります。
研究の結果、方向音痴の人は、サーベイマップ的認知によって認知地図を作り上げることが苦手であることが分かってきました。
が、しかし、これだけが方向音痴の原因ではないことも分かってきました。それが外界情報の利用方法です。
「道を覚える」、もしくは「街を覚える」ケースにおいて、手がかりとなる目印を覚え、情報を蓄積し、自分なりの認知地図を作り上げることは、とても大切なことです。
このような目印となる情報を、外界情報と呼びます。
方向音痴の人たちは、外界情報をうまく取り込み、そして活用できていないことが、研究の結果、分かってきました。
例えば、自称方向音痴と、自称方向感覚バッチリの人たちに、知らない街の映像を見せ、道を覚えてもらう実験を行いました。
すると、自称方向音痴の方々は、「変化してしまう」外界情報に意識が削がれることが多いことが判明しました。
例えば、「この横断歩道は、人が多いなぁ」とか、「猫がいた!」などです。
こういった外界情報は、認知地図を作り上げるために、あまり役に立ちません。いつもその横断歩道に人がたくさんいるとは限りませんし、「猫がいた」なんて、なんの目印にもなりません。
対して、自称方向感覚バッチリの人は、お店、道路標識、道路の幅や特徴など、基本的には変わらない情報に注目する度合いが多いことが分かりました。
ところが…
ここまでは、研究結果として、方向音痴の原因として一定の評価が得られた研究なのですが、どうも日本人に限っては、これだけでは方向音痴の原因がうまく説明できないそうです。
さらに調べると、日本人における方向音痴には、どうも方向音痴をポジティブに捉える意識があることが分かってきました。
ここまでは、方向音痴を、人が持つ(もしくは「備える」)認知機能の面から考えてきました。しかし、日本人に限っては、どうも認知的側面からの研究では不足しており、社会的側面から方向音痴の原因を解き明かす必要があることが、分かってきました。
ある研究グループは、Web上の方向音痴に関する書き込みを研究しました。
すると、本来、方向音痴とはネガティブな要素のはずなのに、「私は方向音痴です」といった、方向音痴を自ら宣伝する書き込みが多く見受けられたのです。
実は、この研究は2000年に行われたものです。だいぶ昔の話ではありますが、でもきっと、今でも同じ調査をすれば、同じ傾向が出ることが推測されます。
例えば、日本のマンガ/アニメ文化では、いわゆる「ドジっ子」は軽蔑される対象ではなく、かわいらしく愛されるキャラクターとして、ステレオタイプな表現のひとつとして定着しています。
「ドジっ子」が愛されるのは、他者を必要とすることもひとつの要因です。「ドジっ子」の面倒を見てくれる、お兄ちゃん/お姉ちゃん的キャラクターとの対比の中で、「ドジっ子」は愛されるわけです。
これも研究の結果、自称方向音痴の人たちには、「自ら地図を確認することをしない」「誰かに依存して後を付いていく」傾向が強いことが分かりました。
方向音痴を自称する人たちの中には、そもそも「道を覚えよう」という意識が欠如している人が多いことは、なんとなく、読者の皆さまも思い当たるフシがあるのではないでしょうか。
なぜならば、彼ら/彼女らは、方向音痴を自分のネガティブファクターだとは、本気で思っていないからです。そして、日本文化の中に、方向音痴を容認する傾向があるからこそ、彼ら/彼女らの存在も容認されていくわけですね。
「方向音痴の原因は、方向音痴を是認する自らの心の中にある」
…なんて言うと、なんだか禅問答のようになってきましたが、どうやら日本人型方向音痴の方には、こういった方が少なからなずいらしゃることが、研究の結果分かってきました。
ちなみに、筆者自身は、手前味噌ながら方向感覚には自信を持っています。
例えば、仲間とサイクリングに行くときなども、先導(ルートファインディング)をすることが圧倒的に多く、たびたび「よく道知っているよねぇ」とお褒めいただくことも多くあります。
これは、もともと地図が好きなことから、知らない土地に赴くときにはGoogleMapsなどを用い、念入りに事前調査することにも所以するでしょう。
でも、最大の要因は、「道に迷っても平然としている」、もしくは「道に迷っても、『迷っていること』を他の人に気が付かせない」ことにある気がします。
道に迷う方って、現在位置を失ったり、もしくは少し予定と違う道を通った時点で、パニックになって状況を悪化させるんですよね…
もともと、人には渡り鳥のような方向感知器官は備わっていないわけですし、いわゆる「方向感覚が鋭い人」とは、しょせん訓練と気持ちの持ちようの違いではないかと、私は思います。
年末年始、知らない街を訪れる機会も増えるでしょう。
自称方向音痴の方々、少し頑張ってみてはいかがでしょうか?
もっとも、僕も「私、方向音痴なんです~」なんて頼られると、嬉しくなってしまうタイプではありますが…
『図解話を聞かない男、地図が読めない女』
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アラン・ピーズ, バーバラ・ピーズ 著, 藤井留美 訳, 高倉みどり マンガ
主婦の友社, 2017.6
『道に迷うのはなぜか–方向音痴の認知的側面と社会的側面 (特集論文 人の移動プロセスの認知科学)』
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野島久雄 / 新垣紀子
掲載誌 NTT R & D / NTT先端技術総合研究所 企画編集:電気通信協会,2000.05
『テキストマイニングによる空間的表象の分析 : 性と移動手段による方向音痴の研究』
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安念 保昌
掲載誌 瀬木学園紀要,2015