「最近のトラックドライバーは、すっかりサラリーマンになっちゃってさぁ…」
物流業界で働く諸先輩とお話ししていると、時々、このようにおっしゃる方がいます。
ハングリー精神がないとか、向上心がないとか、昨今のトラックドライバーたちにおけるメンタリティーを嘆いているようですが。
同様のことを、トラックドライバーに限らず、最近の若手全般に対し、感じている方もいることでしょう。
でも、ちょっと待ってください。
これって「正しい」のでしょうか?
決して「正しくない」と断じるつもりもありませんが、「正しい」と言い切るのも、今の御時世、ちょっと違う気がします。
会社って、もしくは「働く」って、どのようにあるべきなのでしょうか。
組織行動論なる、経営学のキーワードとともに、考えてみましょう。
私がトラックドライバーとして働いていたのは、もう20年以上前のことです。
今ほど、コンプライアンスの大切さを社会が認識しておらず、長時間労働についても、良くも悪くも寛容だった時代の話です。
私の勤めていた会社の給与は、売上に対する歩合の割合が高く設定されていました。
各ドライバーの売上は、常に社内に掲示しています。
売上を上げるドライバーは尊敬され、逆に売上を上げないドライバーは見下されていました。配送助手のアルバイトの中には、売上を上げないドライバーと一緒に仕事をすることを
露骨に嫌がる者もいました。
チカラが正義。
言ってしまえば、そういった雰囲気が充満している会社だったのです。
「あんな使えないドライバー、辞めさせればいいのに…」
そう言ってはばからない者もいました。
恥を忍んで告白すれば、私もそのひとりでした。
お金が稼ぎたいから、働いているのに。
だから、残業もいとわないし、休日だって少なくていい。
有給なんて、取得する気もない。
なのに、あいつは売上も少ないのに、しっかりと休みたがる。
あんなやる気のないやつと、一緒に働きたくはないよな。
呑みに行けば、実名を挙げ、「使えない」ドライバーをさげずんでいたものです。
そんな私の考え方に、一石を投じた方がいました。
サラリーマンの傍ら、休日のみアルバイトとして配送助手として働いていた、30台後半の方が、このように言ったのです。
「でもね、『使えない人』にも、会社にとっては売上を上げてくれる、大事な従業員なんだよ。逆に、君みたいな人だけが集まった会社だったら、会社は発展しないよね」
自分で言うのもなんですが、私は優秀な売上を上げ続けていました。
ドライバーとしても優秀だったと思います。
この人は、何を言っているのだろう…?
私は、彼の発言をいぶかりました。
「使えない人はいらない」という考え方が、なぜ危険なのか?
労働集約型産業における売上と、パレートの法則、ふたつの観点から考えてみましょう。
言うまでもありませんが、企業活動の成果を表す指標のうち、売上はとても大切な要素です。
運送業のような、労働集約型産業において、売上は、ドライバーの数である程度決まってきます。
ドライバーが10人しかいない会社で、12人分の売上をあげようとしたら、それなりに大変です。
ドライバーが10人しかいない会社で、15人分の売上をあげようとしたら、コンプライアンスを守ることは、まず不可能でしょう。
ドライバーが10人しかいない会社で、20人分の売上を上げることは…、そんなことはできるはずがありません。
労働集約型産業である、運送業において、ドライバーは売り上げの原資です。
仮に、「使えないドライバー」であったとしても、「使えるドライバー」の半分程度の売り上げは上げるでしょう。逆に、「使えるドライバー」、すなわち優秀なドライバーであったとしても、今の1.5倍の売上を上げることは、無理であり、無茶です。
労働集約型産業である運送業においては、生産性が低いドライバーも、売り上げ確保のために必要な存在なのです。
別の観点から考えましょう。
パレートの法則については、以前も秋元通信で取り上げたことがあります。
『ある組織における売上の8割は、2割の人が優秀な人材が稼いでいて、残り8割の凡庸な人(とあえて表現します)が、2割の売上を生んでいる。しかし、優秀な2割を抜擢し別組織化すると、結局また優秀な2割と凡庸な8割チームに別れてしまう…というものです』
(ぶら下がり社員を考える 【後編 / ぶら下がり社員が生まれる理由】)
パレートの法則は、科学的に証明されたものではなく、経験則から導かれたものです。
しかし、何故か不思議と当てはまることが多いです。
実際、私がトラックドライバーを辞した時もそうでした。
実は、私とまったく同じタイミングで、(自称ですが)「使えるドライバー」がもうひとり辞めています。
周囲からは、「ふたりがやめたら、営業所はどうなるんだろう??」なんて声も挙がりましたが。もちろん営業所も、会社も、私たちふたりの退職に影響を受けることもありませんでした。
当時の私と、その仲間たちは、お金を稼ぎたがらないドライバーであり、また実際に高い給料をもらっていないドライバーを、「使えない」と断じていました。
冒頭に挙げた、「最近のトラックドライバーは、すっかりサラリーマンになっちゃってさぁ…」という発言と、発想の根源は同じです。
お金を稼ぎたがらないトラックドライバーは、悪者なのでしょうか?
もっと言えば、働く=お金を稼ぐ、というモチベーションは、絶対的な価値観なのでしょうか?
経営学で用いる用語のひとつ、組織行動論について、ご紹介しましょう。
組織行動論では、企業の生産性、収益などに影響を与えるファクターを、人(従業員)の個人行動、集団行動、組織そのものの行動に分解して研究します。
組織行動論では、個人レベル、集団レベル、組織レベルに分けて、観察を行う方法があります。
個人の行動・態度が、職場や仕事内容に対する満足度、ひいては生産性に対して与える影響を研究する。
組織内にある、公式・非公式な集団において、構成員の満足度と生産性を高める方法を研究しつつ、集団が個人に与える影響も研究する。
組織構造や企業文化(組織文化)が、企業の収益に対して与える影響を研究する。
小難しそうなに見えるかもしれませんが…、当たり前ですね。
会社の中には、組織とは別に、仲良し集団が存在するものです。
個人レベル、集団レベル、組織レベルは、互いに干渉し、相互に影響を与えます。
例えば、前述の「お金を稼ぎたがらないトラックドライバー=悪者」という価値観は、組織レベルが策定し、集団レベル、個人レベルに影響を与えていると考えられます。
- 歩合給を高く設定する給与体系
- 売り上げを社内に掲示し、売り上げの優劣を、ドライバー同士で競い合わせる運営
こういった施策によって、集団レベル、個人レベルでも、意識の刷り込みが行われ、例えば酒席において、「使えないドライバー」なんていう会話が発生するようになっているわけです。
企業という組織は、人(従業員)の集合体です。
当然、一人ひとりのパフォーマンスが、総体として企業のパフォーマンスへとつながります。つまり、企業のパフォーマンスを上げるためには、従業員一人ひとりのパフォーマンスを向上させる必要があるのです。
旧来、多くの企業では、給与を従業員へのモチベーションに利用してきました。
従業員は企業に労働を提供し、そして企業はその対価として給与を支払うことが、雇用というシステムの根源です。「お金を稼ぐ」ということを、従業員へのモチベーションに利用することは、間違いではなく、当然のことではあります。
しかし昨今、組織行動論の研究が進むにつれて、どうやらお金だけでは、従業員のパフォーマンスを引き出しきれないことが分かってきたのです。
最近の研究では、人はやらされるよりも、自ら進んで行動を起こしたときのほうが、良いパフォーマンスを発揮することが分かってきました。
乱暴な言い方になりますが、「お金(給与)が欲しいんだろ? だったら、ちゃんと働きなさいよ!」といった動機づけでは、従業員のパフォーマンスを引き出しきれないのです。
社会構造の変化や成熟によって、働くことに対するモチベーションも多様化しています。
もちろん、お金がたくさん欲しい、ということが最大の労働モチベーションである人もいるでしょう。
しかし、仕事よりも家族とのプライベートを充実させたい人もいます。
仕事の内容に、最大のモチベーションを感じる人もいるでしょうし、仕事を通じて、自己成長・自己研鑽を行うことに、高いモチベーションを感じる人もいるでしょう。
旧来型の上司は、企業のミッションや職務の目的・目標を、部下に指導し牽引する役目でした。言わば、調教師的な役目を担っていたわけです。
対して、これらの時代の上司に求められるのは、サポーター的な役割だと考えられています。
部下が持つ夢や希望、モチベーションなどを、仕事を介して実現するために、アドバイスを行い、自発的に働くようにサポートしていくことが大切だと考えられています。
「最近のトラックドライバーは、すっかりサラリーマンになっちゃってさぁ…」
この言葉は、そもそも矛盾しています。
だって、実際サラリーマンなわけですからね。
ドライバーたちの、向上心やモチベーションなどを嘆いているのであれば、本末転倒ではないでしょうか。企業は、(ドライバーに限らず)従業員のパフォーマンスを引き出せるよう、時代と社会に合わせた創意と工夫を行い続けなければなりません。
つまり、この嘆きは、経営側が自身の無能を図らずも告白していることになります。
従業員のダメさ加減を嘆く前に、自身の経営やリーダーシップ論に問題がないかどうか、旧来の慣習にとらわれず考えなければならない時代が来たのかもしれません。
企業と従業員の関係は、時代とともに変わっていくのですから。