秋元通信

「社長と従業員の対立は避けられないの?」、認知限界の話

  • 2020.7.31

彼は、あるITサービスを提供する会社において、営業を務めていました。会社は小さく、営業は彼ひとりでした。彼は、これまで大手企業において営業部長を務めた経験もある方で、営業活動に対する知識も経験も豊富な方です。
 
彼は、営業方針について、社長と意見が対立していました。
 
彼(以下、Aさんとしますね)の主張は、以下のとおりです。
 

  1. 代理店政策を原則とするべき。
  2. ITサービスのカスタマイズを受注すべき。

対して、社長の主張は以下の通りでした。
 

  1. 営業は、飛び込み営業が基本。他手段としては、年に一回、展示会に出展すれば良い。
  2. カスタマイズは請けない。

 
社長は、自社のITサービスに絶対の自信を持っていました。
「商品力があるのに、なぜ、営業に余計なコストを掛けなければならないのか?」、それが社長の持論でした。「良いものは必ず売れる」わけだから、飛び込み営業で十分だと考えたわけです。
 
対して、Aさんは、自社サービスに対して評価はしていたものの、より効率の良い営業手法を実施すべきだと考えていました。自分ひとりのマンパワーによる営業力には限界があることは明らかであり、したがって代理店政策や、カスタマイズ(※継続的な保守運用費用を見込むことができ、顧客の囲い込みにもなる)こそ、取るべき営業方針だと考えていました。
 
Aさんは、悩んでいました。
というもの、営業結果がなかなか出なかったからです。
 
Aさんは社長に命じられたので、飛び込み営業だけを行っていました。Aさんの心の中では、結果が出ないのは、代理店政策などを行わない、社長の戦略ミスだという気持ちが、どんどん膨らんでいきました。
 
一方、社長は、結果が出ないのは、Aさんの営業力が不足しているからだと考えました。自ずと、Aさんを叱責する機会も増えるようになりました。
 
私は、Aさんがその会社に転職する前からの知り合いでしたので、Aさんの営業力は評価していました。
しかし一方で、社長の言うことにも、Aさんの言うことにも、それぞれ合理性があるとも感じていました。
 
やがて、Aさんは、会社を辞めることを決意します。社長の叱責が、どんどんエスカレートしていったからです。
 
Aさんが同社を退社して、3年が経ちます。
Aさんが退社した後も、私は同社とお付き合いがありますが、現在、同社では代理店政策を行い、件のITサービスに対するカスタマイズも請け負っています。
そして、社長はAさんを(結果的に)退社に追い込んだことに対し、今では後悔をしています。でも、こうも言っているのです。
 

「あのときの状況を考えれば、こういうことになったのは仕方ないと思うのですが…。どう思いますか?」

 
 
 

従業員と経営層を隔てる、「認知限界」の壁

 

「うちの社長って、ホントダメだよなぁ….」

 
同僚とお酒を酌み交わしながら、こんな愚痴を言い合った経験、サラリーマンであれば誰しも経験があるのではないでしょうか。
 
従業員が、社長や上司に対して不平不満を持つことは、よくあることです。
逆に、社長が従業員に対して不満を持つこと、もしくは上司が部下に対して不満を持つこともよくあることです。
 
不満の原因のひとつは、お互いの立場に対する理解不足にあります。
冒頭のエピソードを例に、社長と従業員の間にある、理解不足の原因を考えましょう。
 
 

1.「代理店政策」と「飛び込み営業」のギャップ

 
Aさんが代理店政策を主張した理由は、ひとりのマンパワーで営業を拡大できる限界を、Aさんはこれまでの経験から知っていたからです。
Aさんは、大手企業にいたこともあり、戦略的に営業を行うことの効果と重要性を、強く認識していました。
 
一方で、社長は、高い給与を払って、営業経験豊富なAさんを会社に招いたわけですから、これ以上余計な営業コストは掛けたくないと考えました。Aさんに対する、過剰な期待もあったのでしょう。
 
両者の主張を分けたのは、営業活動に対する経験と知識のギャップであると考えられます。
 
 

2.「カスタマイズ」に対する考え方の違い

 
社長がカスタマイズを行わないとした最大の理由は、会社の経営状況でした。カスタマイズを請け負うとなると、余計にプログラマーの頭数が必要となります。しかし、同社では、追加でプログラマーを雇う余裕はありませんでした。
 
一方、Aさんは、営業を自分一人で行うのだから、プログラマーを増やすべきだと考えていました。
 
両者の主張を分けたのは、会社の経営状態であり財務状況に対する理解のギャップであると考えられます。
 
ふたつの理解不足の根底にあるのは、それぞれの立場の違いに基づく、現状分析や見通し、戦略に対する解釈の違いです。
これこそが、今回のテーマでもある「認知限界」なのです。
 
 
 

認知限界とは

 
認知限界とは、人間の情報処理や認知能力における限界のこと。
 
世の中にあるすべての情報を、ひとりの人間が把握することは無理です。もっと言えば、もし仮にすべての情報を把握できたとしても、その情報を処理することは、人間が備える頭脳の処理能力では無理でしょう。
 
人間は、それぞれ自分自身のキャパシティに収めることができるボリュームの情報しか把握できませんし、処理もできないのです。
これが立場の異なる人同士が、お互いに理解し合えないことの原因のひとつです。
 
誤解を恐れずに申し上げれば、すべての人間が、お互いのことを完全にわかり合うことは無理なのです。

Aさんが、「私は、営業としてあなたよりも豊富な経験と知識があります。だから、私の主張のほうが正しいのです」と社長に対し説明をしたところで、「豊富な経験と知識」を社長が完全に理解し、また信頼することは難しいでしょう。
と言うのも、営業経験の乏しい社長が、Aさんが行ってきた営業としての経験や知識を、正当に評価することは難しいからです。
 
また、会社の経営状態や財務状況、そしてそれらに基づく社長の判断を、Aさんが完全に理解することも難しいでしょう。
と言うのも、起業し、会社を経営する社長の苦労や、経営に対する責任感を、これまでサラリーマンとして、ずっと雇われる立場であったAさんが理解することは難しいからです。
 
認知限界が、ふたりの主張を対立させ、そしてAさんを退社に追い込んだ…
先のエピソードについて、このように解釈することは身もふたもないかもしれませんが。
 
しかし、世の中には、経営層と従業員に間にある、認知限界のギャップを埋めようと努力をしている企業もあります。
 
 
 

従業員に財務諸表を公開するべきかどうか?

 

『株式会社は、法務省令で定めるところにより、定時株主総会の終結後遅滞なく、貸借対照表(大会社にあっては、貸借対照表及び損益計算書)を公告しなければならない』
(会社法第440条第1項 計算書類の公告)

 
会社法には、このように公告の義務を定めていますが、ここでは法律上の問題は置き、従業員にPLやBSなどの財務諸表を公開すべきかどうかを考えましょう。
 
多くはないと思いますが、未上場企業であっても、従業員に対してPLやBSを公開している企業は存在します。中には、従業員に対し、財務諸表を示し、会社の経営状態を説明する場、言わば従業員向けの株主総会を実施している企業もあります。
 
従業員に財務諸表を公開する是非は、たびたび議論されるところです。
なぜ、財務諸表を公開するのか?
表現の差はあれど、社長を始めとする経営層と、従業員たちの認知限界を解消しようと考えているケースが多いようです。
 
ただ、この方法には、ひとつ課題があります。
と言うのは、伝えられる側の従業員が、PLやBSを読み解くチカラがないと、結局、認知限界のギャップは埋められないですから。
 
筆者の私見ではありますが、社会人であれば、せめてPLくらいは読んで、そして(ふわっとでも良いので)何かしらの感想、評価を得られるくらいの素養は備えるべきではないでしょうか。
損益の計算というのは、ビジネスの基本中の基本ですからね。
 
なので、財務諸表を従業員に公開するというのは、経営層と従業員の認知限界を埋めようという試みとは別に、財務諸表を読み解くチカラを従業員に身につけさせることで、従業員の成長を促すという意味でも、価値のあることではないでしょうか。
 
 
 

OKRによって会社の戦略・ビジョンを共有する

 
OKRについては、以前取り上げました。
 
『Googleやメルカリが活用!目標管理手法「OKR」とはなんぞや』
 
OKR(Objectives and Key Results)とは、(誤解を恐れずに、端的にまとめれば)あえて挑戦的な目標を掲げることで、個人と組織の成長を促す、目標管理手法であると同時に、組織マネジメント手法でもあります。
 
OKRでは、企業の戦略やビジョンを、部門レベル、個人レベルにブレイクダウンし、各々の目標を設定します。
 
先の記事中では、このように解説しました。
 

「従業員のひとりひとりが、企業の掲げる戦略・目標を適切に理解し、自発的に自分のチカラを発揮するためにはどうしたら良いのか」

 
ある意味、経営層に近い目線を持つことを、従業員にも要求するのがOKRです。自ずと経営層と従業員の間にある認知限界のギャップは縮められることになります。
 
 
 

どうすれば、社長と従業員の間にある、認知限界のギャップを埋めることができるのか?

 
冒頭のエピソードに戻りましょう。
 

「あのときの状況を考えれば、こういうことになったのは仕方ないと思うのですが…。どう思いますか?」

 
きっと、件の社長は、Aさんとの間に認知限界があることを、(少なくとも現在では)分かっているのではないでしょうか。
そして、この社長は、認知限界を完全に埋めることなどできない、つまり社長と従業員が完全に理解し合うことが無理であることも、分かっているのでしょう。
 
「仕方ない」という言葉には、社長が直面した、理解し合えなかったもどかしさが込められているのかもしれません。
 
 
以下は、あくまで筆者の私見ですが。
人と人との間に対立が発生した時、「腹を割って話し合えば、お互い分かり合えるよ」という考え方があります。心情的には否定したくはないのですが、現実には理解し合えないこともあると、私は考えます。
だって、人はそんなに賢くないですし、万能でもないです。
 
だからこそ、相手を尊敬する気持ちが、大切なのではないでしょうか。
何か対立が発生したときには、「分からないけれども、相手には、自分には理解できない、何かしらの事情があるのではないだろうか」と思えることが、大切なのではないでしょうか。
 
認知限界という言葉は、なんだか小難しくて拒絶の壁を作るようにも聞こえます。
しかし、認知限界という、人の越えられないギャップが存在することを知っていて、そして相手のことを尊敬する気持ちがあれば、対立した相手のことを理解できなくても、優しくあることができるような気がします。
 
皆さまは、社長と従業員の間にある認知限界のギャップを感じることはありますか?
もし感じたことがあるのであれば、本記事が何かしらの参考になれば、幸いです。
 
 
 


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