秋元通信

AIが人間の知能を超える日は来るのか?  「シンギュラリティ」を解説

  • 2020.8.28


 
 
スタンリー・キューブリックは、代表作である『2001年宇宙への旅』において、HALという人工知能を創造します。HALは高度な人工知能(AI)を備えたコンピューターであり、木星へ旅する宇宙船において、人工冬眠中のクルーに代わり、宇宙船を操船し、またクルーたちの健康管理を行います。
しかし、HALは、人工知能にとっても最大の禁忌であるはずの殺人を犯します。作品中では、その理由の詳細は明かされませんが、HALは論理的に考えた結果、木星へのミッションに疑問を感じ、そして自らの身を守るため、クルーたちの命を奪うことを、選択せざるを得なかったと主張します。
 
HALのように、進化したAIは、人類にとって驚異となるのでしょうか?
この、人類にとってはありがたくないストーリーにそったSF作品は、『ターミネーター』シリーズを始め、数多く作られてきました。
 
ごく簡単に言ってしまえば、シンギュラリティとは、AIが人間の知能を超える時、もしくはその現象であり事実を指すキーワードです。
 
今回は、シンギュラリティについて、考えましょう。
 
 
 

シンギュラリティとは

 
シンギュラリティ(Singularity)というキーワードは、アメリカの発明家である、レイ・カーツワイルが、2005年に発表した著書『The Singularity Is Near:When Humans Transcend Biology』をきっかけに注目されるようになったとされています。
 
少し話がずれますが、このレイ・カーツワイルという人は、とても興味深い人です。
例えば、1982年、スティーヴィー・ワンダーの音楽スタジオに招かれた際、「コンピューターを使って本物の生楽器の音を再現することはできないだろうか」と尋ねられ、シンセサイザーを作る会社を立ち上げたりもしています。
現在は、Googleにいるようですね。
 
レイ・カーツワイルは、先の著書において、技術的特異点(Technological Singularity)という概念を提唱しました。ただし、彼が提唱した技術的特異点の定義とは以下です。
 

「1,000ドルで手に入るコンピュータの性能が全人類の脳の計算性能を上回る時点」

 
1,000ドルのPCですから、普及帯価格のPCと言うことになります。普及帯価格のPCが、驚異的な演算能力を得る時点を、技術的特異点と定義したのです。
つまり、レイ・カーツワイルは、「シンギュラリティ=AIが人間を超える時点」とは定義していません。
 
しかし、このシンギュラリティという言葉が、話題になり、勝手に独り歩きした結果、「シンギュラリティ=AIが人間を超える時点(もしくは現象)」という見解が、いつしか広まったのです。
 
 
ついでに、もうひとつ誤解を解いておきましょう。
「ムーアの法則」というキーワードがあります。
 
これは、後にインテルの創業者のひとりとなる、ゴードン・ムーアが1965年に発表した論文中の提示です。
 

「集積回路上のトランジスタ数は『18か月(=1.5年)ごとに倍になる』」

 
かんたんに言うと、「半導体の性能は、18ヶ月で2倍になる」ということです。
レイ・カーツワイルは、技術的特異点が発生するタイミングを2045年と予測しましたが、これはムーアの法則などを用いて計算した結果です。
 
ところが、「ムーアの法則は、2045年にAIが人類を超えることを予知している」という、誤った(少なくとも、諸情報や経緯を大幅に端折った)認識が、一部広まっているようです。
 
まあ、話題に挙がるキーワードは、伝聞に伝聞を重ね、いつしか形が変わってしまいます。これもその一例なのでしょう。
 
 
 

囲碁や将棋の世界での、AIの活躍

 
囲碁や将棋、もしくはチェスなどでは、AIが人間を超えているという認識は、広く広まっています。
例えば、囲碁の世界では、2017年4月、人類最強と呼ばれた中国:柯潔氏を、「AlphaGo(アルファ碁)」が三連勝し負かしたことで、AIが人間を超えたという認識が広く広まりました。
 
 
興味深いのは、囲碁や将棋を指すAIの変遷です。
初期のAIでは、人間がAIに対する教師を務めていました。ある局面において、プロがAという手を打ち、一方、AIはBという手を打ったとします。すると、プログラマーが、「この局面では、Aという手が最適なんだよ」とAIに教える(パラメーターを調整する)わけです。
 
その後、プロたちの棋譜をインプットし、機械学習させる手法が確立しました。囲碁にせよ将棋にせよ、プロたちの戦いの記録を大量にインプットすることで、AIは強くなっていったのです。
 
次世代の囲碁AIは、さらに進化を遂げます。
「AlphaGo」の後継である「AlphaZero」は、囲碁AI同士での対戦を、何千万回、何億回と繰り返すことで、自律的に強さを獲得していきます。棋譜を学ぶ必要すらないのです。
 
「AlphaZero」の後継である「Mu-Zero」は、もっとすさまじいです。
「Mu-Zero」は、囲碁のルールを事前にインプットする必要さえありません。「Mu-Zero」は、「AlphaZero」と対戦することで囲碁のルールを理解し、強さを手に入れます。しかもその学習効率は、「AlphaZero」よりも20%向上したそうです。
 
ちなみに、「Mu-Zero」を開発したDeepMindテクノロジーズ社は、現在、Googleに買収され、グループ会社となっています。
 
 
 

AIにも難しい、言語の理解

 
囲碁や将棋の世界を例に挙げ、「AIは人間を超えた」と断じるのは早計です。
AIでは、まだまだ解決できない事象はたくさんあります。
言語に関する分野も、そのひとつです。いくつか例を挙げましょう。
 

「太郎は花子に自分の写真を撮らせた」

 
この「自分」って誰でしょうね? 誰の写真を撮影したのでしょう?
 
「太郎は花子に自撮りをさせた」だったら、写真に写っているのは、花子です。しかし、「太郎は花子に自分の写真を撮らせた」の場合、写真に写っているのが、花子でも、太郎でもありえます。
「太郎は花子に自分の写真を撮らせた」という一文は、文章として不親切です。この一文に対し、前後の文章も参照しなければ、正確な状況は分からないのです。
 
こういう文章は、AIは苦手です。さらに、別のケースを考えましょう。
 

  1. 「太郎は、好きな女の子に会いに行く」
  2. 「太郎は、恋人に会いに行く」

 
2.は、言葉通り、「会いに行く」相手と、太郎は交際をしています。
しかし、1.の場合はどうでしょう?
 
恋人は、「好きな女の子」であるはずですが、「好きな女の子」は恋人とは限りません。
人間であれば、1.については、『もしかして、ふたりはまだ交際していないのかな?』と、想像することができます。というのは、2.の表現でなく、わざわざ1.の表現を採用した、発言者の意図を、人間であれば裏読みできるからです。
 
このニュアンスを、AIが理解するのは難しいです。
 
 
人間の場合、それまで得た経験を元に、自ずと言語化されない背景を読み取ることができます。難しい言い方をすれば、コミュニケーションとは、構造化された言語というメカニズムと、言語外のシチュエーション、人間が生きているうえで得ることができる共通認識などを含めて、行われるものです。
 
AIが言語をほんとうの意味で理解するためには、文字面だけを追うことではなく、人間そのものを理解することが必要となります。
 
これは、まだまだAIでは難しいところです。
 
 
 

子供は、どうやって言葉を学ぶのか

 
赤ん坊は、親と接するうちに、自然と言葉を覚えていきます。
考えてみたら、これって不思議じゃないですか?
 
だって、特段難しいことをしているわけでもないのに、子供は勝手に言葉を覚えていきます。
 
先の、囲碁AIを思い出してください。
囲碁AIの場合、何億回レベルの試行を繰り返すことで、強さを身に付けます。そのことを鑑みると、ある意味、囲碁や将棋よりも複雑な言語を、「親の言葉を真似するだけで覚えることができる」というのは、無理がある気がします。
 
研究の結果、子供が言語を身に付ける過程には、何かしらのズルがあるものと推測されています。生まれたての赤ん坊の脳内は白紙ではなく、言語を学ぶために役立つ、初期設定された何かが存在するのではないか、という考え方です。
 
この、「初期設定された何か」のことを、普遍文法と言います。
 
普遍文法は、日本語でも英語でも中国語でも関係なく、あらゆる言語に共通する基本ルールだと考えられています。普遍文法が脳内の仕組みとしてプリセットされているから、子供は容易に言葉を操ることができるようになるという説です。
 
ただし、この普遍文法がどういったものなのか、まだ発見されていません。
そのため、普遍文法が、「子供が言葉を学ぶことができる」唯一の理由であるかどうかは、まだ議論されているところです。
 
もし、この普遍文法が発見されれば、AIは飛躍的な進化を遂げるでしょう。
 
 
 

人間は、AIとどうやって生活を共にするのか?

 
先日快挙を成し遂げた、将棋の藤井聡太八段は、研究にAIを活用することで知られています。それを、師匠の杉本昌隆八段は、このように説明しています。
 

「AIはもろ刃の剣だが、楽をしようと思えば、いくらでも楽ができる。藤井2冠の場合は、自分の中で能力を鍛える道具としてAIをパートナーにしている。その取り組み方は、理想的だと思います。楽をせずに考え抜いて、将棋を積み重ねてきたからこそ、いまの実力がある」
(出典:日刊スポーツ「藤井2冠、異次元の読みがAI最善手と一致/連載」)

 
テクノロジーの進化によって仕事が奪われるという危惧があるのも事実です。そして、それは例えば「自動運転が一般化すれば、ドライバーという仕事はなくなる」というように、真実も含まれるでしょう。
 
ただし、だからと言って、AIが、すべての人の仕事を奪うかと言えば、それは言い過ぎではないでしょうか。
AIそのものは、単なる道具に過ぎません。大切なのは、AIという新たな道具を得た私たちが、AIを使って、何をするべきなのか?、と考えることです。
 
藤井聡太八段は、もしかすると、現役の棋士たちの中で、もっともAIを活用している人なのかもしれません。だからこそ、若くして二冠という快挙を成し遂げたのかもしれません。
つまり、AIは私たちの敵ではなく、私たちをさらなる高みに導いてくれる存在ではないでしょうか。
 
シンギュラリティというキーワードは、とかくSF的な夢物語として語られがちです。
そうではなく、テクノロジーの進化と共存共栄する、新たなビジョンとして捉えるべきだと、私は考えます。
 
AIを道具として、上手に利活用するためにはどうしたら良いのでしょうか。
これは、これからの時代を生きる私たちにとって、今後向き合うべき普遍的なテーマとなる気がします。
 
 
 
 

参考および出典

 

 
 
 


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