旅人は、ある村を訪れました。
村では、三人の石切職人が、作業をしています。何やら、大きな建物を建築しているようです。
旅人は尋ねました。
「あなた方は、何をしているのですか?」
一人目の男は答えました。
「カネを稼いでいるんだよ」
二人目の男は答えました。
「私は、国一番の石切職人になるために、技術を磨いているのです」
三人目の男は答えました。
「私は、村人の皆さんの憩いの場所となる、教会を建築しているのです」
有名な「三人の石切職人」のエピソードです。
P.F.ドラッカーが著書『マネジメント』の中で示したことでも有名です。
ドラッカーは、このエピソードを、経営者に向いている社員の素養を論じるために用いました。企業を構成する社員たちは、どういう形であれ、企業活動に貢献しています。しかし、全員が経営者候補となりうる素養を持っているかと言えば、そんなことはなく。
経営者候補となりうるのは、三人目の男のように、仕事のミッションとビジョンを、きちんと理解して働いている人なのです。
一人目の男が、少なくとも経営者素養を備えていないことは、明白です。
日々の暮らしの糧を得るということは、働くことの大切な要素ではありますが、雇用する企業側からすると、「もっと高い意識を持ってよ」と言いたくなります。
何より、このタイプの人は、「隣の芝生は青い」と思ったら、簡単に転職してしまう可能性が高いです。
二人目の男に対する評価は厄介ですね。
以下、私がWeb制作会社に勤めていたときのエピソードです。
その方は、定年再雇用で嘱託として働いていたSEでした。ある技術に関しては、極めて高いスキルを持っており、会社から「そのスキルを活かして会社に残ってよ」と言われていました。
ある時、営業である私の元へ、お客さんから連絡がありました。
「なぜ、仕事を受けてくれないのか?」、お客さんは、困惑といくぶんの怒りを交えて私に連絡をしてきたのです。
私は仕事を断った覚えはありません。仕事を断ったのは、件のSEでした。お客さんは、私に連絡をする前に、以前の仕事でも、担当であった彼に相談をしたのですが、そこで彼に仕事を断られたといいます。
私は、彼に詰め寄りました。
「営業を通さず、というか、会社の判断も仰がずに、仕事を断るとは、どういうことですか?」
彼は、平然と答えました。
「やりたくない仕事だったから」
頭に血がのぼるのが、私は自分でも分かりました。
「あなたがやりたくないのであれば、それはそれで結構です。でも、だったら私は外注を手配して仕事を請けます。あなたに、会社を代表して仕事を断る権利はない」
彼は、平然とこう答えたのです。
「この仕事に関して、私以上に優秀なSEはいません。優秀じゃないSEに仕事をさせるのは、お客さんにとっても不幸なことです。第一、私は社長から『好きな仕事だけやってくれればいいから』と嘱託になったときに言われているんですよ」
結局、私は20歳以上も年上の彼を社長の前に連れていき、社長から話をしてもらいました。社長はもちろん、私の主張を正しいものとして、彼をなだめました。
そして、私とふたりになったところで、社長は、このようにぼやいたのです。
「いや、確かに、『好きな仕事だけやってくれればいいから』とは言ったよ。でもなぁ…。彼のことを甘やかしすぎたかね、社長として」
技術を生業とする方が、その技術を磨こうとすることは、正しいことです。
ここで言う技術とは、例えば石切職人やSEのように、一般的に技術職と呼ばれている人だけではなく、経理、人事、もしくは営業のように、すべての職種職域に当てはまります。
ただし、企業の求めるビジョンや戦略を無視し、技術だけを磨こうとすれば、それは会社を、自分の都合が良いように利用しているだけであり、業務遂行上、いずれ問題を引き起こしかねないのです。
「三人の石切職人」のエピソードについて、多く人は、職人側、つまり社員側の素養を課題として議論するようですが。
私は、別の見方もあると考えます。
ここで、三人の石切職人は、同じ企業に勤めている人とします。
三人目の男は、仕事のミッションでありビジョンを理解していました。が、逆に言うと、ふたりは理解していなかったわけです。これは、三人が勤めている企業における社員教育や、企業ビジョンに問題があった証ではないでしょうか。
結果からすれば、その企業では、社員教育、ひいては社員に対する企業ビジョンの浸透が足りず、そのために仕事におけるミッションやビジョンを、きちんと理解している従業員が、割合として三人にひとりしかいなかった、とも考えられるのではないでしょうか。
「うちの社員は、仕事に対するモチベーションが低くて」
こういった経営層の嘆きを、たびたび耳にすることがあります。
しかし、私の経験上、こういったことをおっしゃる企業の大半は、企業の戦略やビジョンを、きちんと従業員に対して示せていません。
もっと言えば、企業として、従業員に対し、企業戦略やビジョンを示すことが、仕事意識の向上や、愛社精神、働くことへのモチベーションに繋がることが、理解できていない、もしくは信じることができていない経営層が、なんと多いことか…
たぶん、日本人は、「仕事は我慢して行うべきもの」という、悪い意味での勤労勤勉の精神が、未だ根強く残っているのでしょうね。
だから、働くことのモチベーションを企業が従業員に対して示すことの重要性を、ついつい軽視してしまうのはないでしょうか。
「だって、働くことは、憲法でも定められた国民の義務なんだから」と言って、だから社員の勤労意欲の低下を嘆いた社長に、以前お会いしたことがあります。
「勤労の義務は、確かに憲法で定められていますが、それは社長のところで果たさなくても、良い義務なんですよ」と、密かに、心の中でつぶやきました(さすがに、口には出せませんでしたけど)。
以前、自己内利益について、ご紹介したことがあります。
「自己内利益=年収・昇進から得られる満足感-必要経費(肉体的・時間的労力や精神的苦痛)」
詳しくは、該当記事をご参照いただきたいのですが。
この公式に当てはめると、仕事で得られる「自己内利益」は、勤続年数が増すと、減っていくことになります。
というのも、給料が数万円~数十万円上がったところで、人はいずれ「給与が上がったこと」を過去のものとして慣れてしまう、つまり上がった当初の満足感は、たやすく忘れてしまいます。
一方で、役職が上がれば、精神的なストレスは上がっていきます。
よって、自己内利益は勤続年数を重ねるごとに、減っていくことになります。
そのため、企業としては、この公式に、プラス要因を加えなければ、従業員たちの自己内利益を守ることができないことになります。
「自己内利益=給与に対する満足感-ストレス +アルファ 」
「+アルファ」に該当する要素は、いくつか考えられます。
例えば、世間で注目を集めるベンチャー企業の従業員は、高いモチベーションを備えていることが多いです。これは、自分自身がベンチャー企業の成長に寄与しているという実感や、ベンチャー企業の目指すビジョンが明確であることによる仕事に対する高揚感や、愛社精神などが、「+アルファ」として自己内利益の押し上げ要因となっているからです。
俗な言い方にはなりますが、夢って、やはり大切な要素ですよ。
その夢が、仕事においても示されて、なおかつ、従業員たちも、納得、もしくは実現したいと思えるものであれば、仕事に対する熱の入り方も、自ずと変わってくるでしょう。
ビジョンとは、すなわち夢です。
ビジョンを掲げていない、もしくはおざなりのビジョンしか掲げていない企業の経営層の皆さま、もう一度、従業員一丸となって夢見ることができるビジョンを、考えてみませんか?
絶望を称し、「死に至る病」と解いたのは、デンマークの哲学者でした。
ということは、絶望の反対語である希望は、人に生きるチカラを与える特効薬ということになりませんか。
企業ビジョンを示し、従業員に対し、希望を与え、働くことに対する自己内利益の向上を図ること。
とても、大切なことです。