秋元通信

「ありがとう」が大切な理由

  • 2021.1.22

とある飲食店でのエピソードです。
従業員として働く私の友人は、ある日、店長から言われた通達に、とても驚いたそうです。
 

「社員、アルバイトも含めて、従業員同士で『ありがとう』と言うことを禁止する」

 
店長は、仕事なんだから、社員もアルバイトも、お互いに協力して働くのは当たり前のことだと主張します。当たり前のことをお互いにしているのに、いちいち感謝の気持ちを伝えるのはおかしいし、何よりもお客様の手前、みっともないと言うのです。
 
「なんか、モチベーションが下がりますよね…」、友人は、このように嘆いています。
さて、皆さまは、どう感じますか?
 
今回は、「ありがとう」と感謝することの大切さについて考えましょう。
 
 

「ありがとう」の語源

 
法華経に、このような一節があります。
 

「人の生を享くるは難く やがて死すべきもの 今命あるは 有り難し」
 
(今生きている私たちは、数え切れない偶然と無数の先祖の計らいで生を受けて誕生したのだから、命の尊さに感謝して精一杯生きよう」という教え)

 
室町時代頃は、感謝の意を表す言葉としては、「かたじけない」が一般的だったという説があります。法華経に登場した、「難有」(有り難し)という言葉が広がり、「ありがとう」に転じたと言われています。
 
法華経では、当たり前のことを、当たり前と切り捨てるのではなく、当たり前と思えることにも、「有り難し」として、感謝の気持ちを持ちましょうと諭しています。
当たり前と思っていることも、「有る」ことそのものが「難しい」ことかもしれません。万物への感謝が、「有り難し」という言葉のバックボーンにあるのでしょう。
 
あるアンケートでは、「思いやり」「愛」「努力」といった言葉をおさえ、「ありがとう」が日本人が好きな言葉一位に輝いたそうです。
語源を紐解くと、「ありがとう」という言葉の深さが、より伝わってくるように感じます。
 
 

「生まれてきてくれてありがとう」

 
子育てに悩むお母さんがいました。子供の問題行動に悩み、また自分自身も、そんな我が子を愛することができなくなっていたとそうです。
 
相談を受けたカウンセラーは、このようなアドバイスをしたそうです。
 

「毎日、寝る前に『生まれてきてくれて、ありがとう』と言って、お子さんを抱きしめてください」

 
当初、お母さんは、「そんなことはできない」と拒否感を示したそうです。当たり前ですよね。だって、そのお母さんは、お子さんを愛せなくなっていたわけですから。
カウンセラーは、そんなお母さんに対し、形だけでいいから行うように勧め、お母さんは、嫌々ながら、アドバイスに従うことにしたそうです。
 
数週間後、お母さんから報告がありました。
問題行動に悩んでいた我が子から、「ありがとう」という言葉が出てくるようになったとのこと。問題行動も減り、またお母さん自身も、我が子を愛おしいと思えるようになったそうです。
 
 

心と行為の大切な関係

 
このお母さんは、愛することができない我が子に対し、「生まれてきてくれて、ありがとう」という、言わば心のない行為に対し拒否感を感じました。
 
ですが、心と行為の関係は、心→行為、つまり心があって行為に発展する一方通行な関係ではありません。行為が心に影響を与えることも事実なのです。また、心がなくとも行為があれば、問題が解決されるケースも間々あります。
 
例えば、いじめです。
いじめられている子を見て、「かわいそう」と思う心は大切ですが、それだけでは何も変わりません。いじめを止める、もしくはいじめられている子をかばうといった行為が伴って、初めていじめという問題が解決できます。
 
考えてください。
 

  • いじめを見てかわいそうと思うが、何もしない子供
  • いじめを見てもかわいそうと思う心が理解できないけれども、いじめを止める行為はできる子供

どちらが、褒められる子供でしょうか。もっと言えば、いじめ防止に貢献できるのは、どちらの子供でしょうか。
 
幼い子供は、まだ心が未発達です。
子供は心が未発達であるがゆえに、大人から診れば残虐とも感じる行為も、時に平然として行います。例えば、昆虫の手足を引きちぎっておもしろがる子供などは、その典型でしょう。
 
そういった時に、心を教えることは難しいです。もちろん、何故昆虫の手足を引きちぎってはいけないのか、その心を教えることは大切です。でも、そもそも心が伴っていないので、真意を理解することは難しいでしょう。
「虫さんがかわいそうでしょ?」と心を理解させることは難しいこともありますが、「命を奪うのは駄目」という行為を教えることはできます。
 
幼児・児童教育における考えた方のひとつとして、「教えるべきは、心ではなく行為である」というものがあります。
最初は、心なき行為だとしても、それで良いのです。行動する中で、心は育っていくのですから。
 
 
これって、「ありがとう」も同じではないでしょうか。
心がこもらないから「ありがとう」と言わない人も、「ありがとう」という感謝の真似事をしていれば、いずれ本当の感謝の気持ちが芽生える可能性があるのです。
 
 

「ありがとう」が大切な理由 / 心を健やかに保つ

 
ウェルビーイング(well-being)とは、個人、もしくは集団が、心身も、もしくは社会的にも、良好な状態にあることを指す言葉です。
世界保健機構(WHO)が、1946年に発表した憲章の一節において、ウェルビーイングは以下のように用いられています。
 

「健康とは、病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態(well-being)にあることをいいます」

 
感謝の気持ちを反芻(はんすう)すること、つまり何度も思い返すことで、感情がウェルビーイングな状態に保たれることを示した研究があります。
 
研究は、高校生を対象に行われました。
過去1週間に経験した感謝を感じた出来事とその時の気持ちをみっつ書き出し、3分間、その時の様子を思い出させました。
すると、この行動(※感謝の気持ちの反芻行動)を行ったグループでは、ポジティブ感情が高まり、ネガティブ感情が低下することが確認できたそうです。
 
「ありがとう」という言葉が、相手に対してだけでなく、自分自身のウェルビーイングを向上させることは、皆さまも経験がありませんか。
この実験では、「ありがとう」と言ったその瞬間だけでなく、その記憶を思い出すことで、心を健やかに保ち続ける効果があることを示しています。
 
 

「ありがとう」が大切な理由 / 抑うつを軽減する効果

 
感謝の気持ちは、ウェルビーイングを向上させるだけでなく、抑うつを改善させる効果があります。抑うつとは、気分が落ち込み、行動、感情、幸福感などに悪影響を及ぼしている、つまり個人のウェルビーイングが低下している状態を指します。抑うつが慢性化すると、うつ病に発展してしまいます。
 
成人が、抑うつ状態に陥ってしまう状態を説明するモデルとして、「認知の歪みモデル」があります。
抑うつに陥りやすい人は、抑うつスキーマを抱えているケースが多々あります。抑うつスキーマは、普段は意識の深層に潜在しているものの、何かネガティブな出来事があった時に活性化され、ネガティブな自動思考を生じさせます。
認知の歪みモデルでは、ネガティブな出来事が発生した際に、抑うつスキーマが、認知の誤りと否定的な自動思考を引き起こすことで、抑うつに陥り、かつ維持してしまうと説明します。
 
何か気になることがあると、ずっと心が晴れなかったり、もしくは不眠を招いた経験がある方もいらっしゃるでしょう。人によって、抑うつの程度に差はあれど、ネガティブな出来事は、人の心を不健康にしてしまいます。
 
心理学では、感謝を状態感謝と特性感謝に分類します。
状態感謝は、特定の状況下で生じる感情。対して、特性感謝は、あなたが経験したポジティブな経験や結果に応じて、感謝の対象となる相手の行動を好ましいもの、善いものと認識したことによって生じます。
 
感謝、とりわけ、相手に対し、心から「ありがとう」と思うことができる特性感謝は、抑うつを防ぎ、幸福感を向上させることが、研究の結果、示されています。
 
中学生を対象に、日々感謝した出来事を一日一回、2週間にわたり筆記する実験がありました。本実験では、対照群に対し、一日一回、日々苛立った出来事を筆記させたそうですが、結果は想像のとおり、感謝を筆記させたグループのほうが、あきらかにウェルビーイングの向上が計測されたそうです。
 
余談ですが、この実験を踏まえると、嫌なことをノートに書いて忘れるというのは、間違いであるばかりか、むしろ個人のウェルビーイングを低下させる危険性すらあります。
世の中には、嫌なことを書く用のノートも市販されているようですが。こういったものには手を出さないほうが無難でしょうね。
 
 

「ありがとう」と言えない人

 
当たり前のことに対し、「ありがとう」を言う必要がない、感謝の気持ちを伝える必要がない、もしくは「伝えるべきではない」と考える考え方は、正当なのでしょうか。
 
「ありがとう」と言えない人、もしくは「ありがとう」を否定する人には、いくつかの心理特性が指摘されています。代表的なものを挙げましょう。
 

  1. 相手の行為に対し、感謝の気持ちを感じる心(能力)が欠けているから。
  2. 「してもらって当然」といった、自分本位の価値観があるから。
  3. 感謝の気持ちを伝えることで、相手の成長意欲が削がれると考えているから。
  4. 「ありがとう」と言うことで、自分が助けられたことを認識し、劣等感を直視せざるを得ないから。

 
冒頭エピソードに戻ります。
従業員同士の「ありがとう」を禁止する理由を店長に対し、さらに理由を尋ねたところ、「『ありがとう』ってことは、何かフォローしてもらわなければならないようなミスがあったってことだろう?」と答えたそうです。
意外に思う方もいるかもしれませんが、上記4.に類するような、こんな考え方をする人は少なからずいらっしゃいます。
 
 
「ありがとう」という感謝の心は、幼児期~児童期の心の成長によって育まれます。1.および2.は、「ありがとう」の心を健全に身につけることができなかったのでしょう。
3.および4.は、さらに厄介です。というのも、感謝する相手と自分との間に、上下、もしくは優劣の関係を(本人は無自覚かもしれませんが)前提としているからです。
 
 
これは私見ですが。
「ありがとう」と伝えることで、自分も、相手も幸せな気持ちになれるのであれば、それはとても素晴らしいことではないでしょうか。
世の中には、わずらわしいことや、不愉快なことがたくさんあります。「ありがとう」という言葉ひとつで、そういったネガティブなことを、たとえ一時であっても忘れ、幸せな気分が味わえるのであれば、それはとてもありがたいことではないでしょうか。
 
「ありがとう」は伝染します。
あなたの「ありがとう」が、その場にいる人たちを幸せにするかも…しれませんよ。
 
 
最近注目されるアドラー心理学では、「勇気づけ」「共同体感覚」などのキーワードとともに、「ありがとう」の大切さを説明しています。
次回は、アドラー心理学を紐解いて、「ありがとう」の大切さを考えましょう。
 
お楽しみに!
 
 
 
 

参考および出典

 

  • 感謝の反すうが感情的well-beingに及ぼす影響 : 高校生を対象とした集団実施による検討
    寺田 和永, 津川 秀夫 / 広島文教大学心理学研究 2020.3
  •  

  • 小学生における特性感謝と抑うつの関連
    藤原 健志, 村上 達也 / 教育心理学研究 2020.9
  •  

  • 「ありがとう」と言える子・言えない子 (特集 「ありがとう」が言えない子)
    原田 綾子 / 児童心理 2012.3 p.269-274
  •  

  • 「ありがとう」「ごめんなさい」がつくる人間関係 (特集 「ありがとう」「ごめんなさい」が言える子)
    川井 栄治 / 児童心理 2004.9
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  • 「『ありがとう』って、もとは仏教の言葉だと聞いたのですが」 仏教質問箱
    法華宗(陣門流)
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  • 全国1,400人に聞いた 「好きな言葉 」に関するアンケート
    湘南美容クリニック
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