秋元通信

「ほめる」から「承認」へ 成長を願う上で必要な心構え【アメとムチはどちらが効果的なのか?】

  • 2021.4.27

 
 

「私たちは、先生の思っているような良い生徒じゃないんだよ!!」

 
これは、前回記事で取り上げた、「自己肯定感お化け」なる言葉を発した、ある中学校教諭が、ぶつけられた言葉です。
学級崩壊が進むクラスにて、ある生徒を注意したところ、反発して、このように叫ばれたそうです。
 
当時、この先生は、学級崩壊を食い止めるべく、必死になってほめる教育に努めていたそうです。がしかし、この叫びは、そのほめる教育すら拒否しています。
 
前回の連載では、自己肯定感お化けというキーワードを元に、ほめる教育の弊害を考えました。
 

 
行き過ぎたほめる教育は、自己肯定感お化けなる、社会性に乏しい人格を形成してしまう危惧があることを、前回は申し上げました。
今回は、前回記事のアンサーとして、「ほめる」から「承認」を重視する教育手法をご紹介します。
 
 
 

アドラー心理学が、ほめることを否定する理由

 
アドラー心理学では、ほめることを否定しています。
理由は、人を育てるためには、上目線で評価することではなく、同じ立ち位置から、勇気づけることこそが必要であると考えるからです。人を自律的に成長させるためには、勇気づけが重要な役割を果たすと、アドラー心理学では説きます。
 
確かに、人はほめられることで、次の「ほめられる行動」への意欲を獲得します。
前回連載で紹介したAさんのように、ほめられることが、行動へのモチベーションであり、理由となりえるのです。
 
ただし、ちょっと考えてください。
これって、ほめられることに依存していますよね。

  • ほめられた人は、「ほめられること」依存症へ陥る。
  • ほめる人は、ほめることで、自分がコントロールしやすい、都合のよいキャラクターへと仕立てようとしているだけ。

 
人が真に成長するとはどういうことなのか?
アドラー心理学では、ほめるという行為が、真の成長にはつながらず、むしろ阻害要因となると考え、ほめることを否定するのです。
 
 
 

ほめると承認の違い

 
皆さんは、「よくできたね!」と言われるよりも、「すごいね!」と言われたほうが、うれしかった経験がありませんか?
 
私は、小学生の頃、夏休みの宿題であった工作で経験があります。
私は、牛乳パックを組み合わせて、可変変形するロボットのような工作を作って提出したのですが。先生が、「これはすごいよ!」といって、授業参観のときにほめてくれたのです。
 
子供心に、「すごい」という言葉には、私の工夫に対する評価が含まれていると感じたのでしょう。おそらく、日常的にほめられた経験は他にもあったことと思うのですが、この「すごい」は、今でも覚えています。
 
 
ほめると承認の差を分けるのは、「How?」、つまり過程にきちんと注目しているかどうかです。
言葉だけを考えれば、ほめる言葉と承認の言葉は、ほぼ同じです。ですが、そこに、過程に注目した裏付けがあるかどうかが、ほめると承認を分けます。
 
 
例えば、学校でマラソン大会があったとします。
優勝した子供には、「優勝おめでとう!」とほめますよね。これはこれでOKです。
(念のため申し上げておきますが、私は、日常的にほめるという行為を全否定するつもりはありません)
 
ですが、2位以下の子供は、放置してよいのでしょうか。
 
もし、前年ビリだった子供が、真ん中くらいまで順位を上げていたとしたら、それは認めてあげるべきです。
 

「あんなに走ることを嫌がっていた君が、よく頑張って練習したな!すばらしいよ!」

 
もし、前年優勝した子供が、体調不良で優勝を逃していたとしても、それまでの頑張りは認めてあげるべきです。
 

「せっかく頑張って練習してきたのに、本番で風邪を引いてしまうなんて、残念だったな。でも、『今年も優勝したい!』と地道に練習してきた君の努力は、ちゃんと見ていたよ」

 
 
 

子供も承認されることを求めている

 
私は、自転車関係のボランティア活動を行っています。
その一環として、ある子ども向けの自転車イベントにおいて、伴走ボランティアを行ったことがありました。
 
その活動は、小学生~中学生の子供を対象に、「チャレンジスクール」と銘打ち、さまざまな野外活動を行うものでした。あるときはキャンプ。あるときは山登り。そして、私が手伝ったのは、サイクリングです。
 
走行距離は、約60kmです。
荒川の河川敷を往復するので坂はありませんが、普段からサイクリングを楽しんでいる私たちと違い、小学生、中学生にとっては、楽な距離ではありません。
 
私が担当したグループに、中学1年生の男の子がいました。
スタートする前、ご両親が私に話しかけてきました。
 

「この子は、中学生になったのに、体力も乏しくて、同級生の子たちと比べても、やせっぽちで。大丈夫ですかね?、付いていけますかね?」

 
男の子は、心配するご両親の声が聞こえているのかいないのか、そっぽを向いています。
任せてください、大丈夫ですよ。
私は、ご両親に伝え、走り出しました。
 
実は心配だったんですよ、私もその子のことが。
でも心配だったのは体力面ではありません。見るからに、楽しそうじゃなかったことです。もしかしたら、「あなたは体力がないから、ちょっと挑戦してきなさい!」と、親に強制されて参加したのかもしれません
 
走り始めてしばらくして、私は、男の子に話しかけました。
しばらく雑談をしていると、男の子がこんなことを質問してきました。
 

「プロ選手って、何がすごいの?」

 
このイベントでは、プロのサイクルロード選手がグループを先導し、私のようなボランティアが、グループの中盤から後方をフォローします。先頭を走るプロ選手を見て、疑問を感じたのでしょうね。
 
プロのすごさを話しながら、私はふと思いつきました。
「そうだ、君も今日は、ドラフティングを身に付けてみようか?」
 
ドラフティングとは、前を走る選手を風よけにして走る技術です。
前の選手の後輪と、自車の前輪を、プロ選手たちは、時に30cm以下まで接近させながら、何時間も走り続けます。ドラフティングを上手に活用することで、向かい風による体力消耗を防ぐことができるからです。
 
私の後輪と、1m以内を維持するように走ってごらん。
数km練習すれば良いかな?、と思ったのですが、男の子は、帰路の30km、ずっとドラフティングを練習していました。
すごい集中力ですよ。
また、ドラフティングに集中することで、それまでは少しふらつきながら走っていたのに、走行も安定してきました。
 
私は彼の様子をミラーで確認していたのですが。
その集中力と成長具合に、舌を巻きました。
 
ゴール後、もちろん私は彼の成長をご両親に話しました。
お父さんは驚きを隠さず、お母さんは少し涙ぐみながら私の話を聞いています。
 
そんなご両親の様子を見ながら、彼はこう言ったのです。
 

「だから言ったじゃん。僕だって、ちゃんと走れるって!」

 
自分を認めてくれないご両親のことを、彼は苦々しく思っていたのでしょうね、きっと。
 
 
 

学級崩壊からの復活

 
冒頭のエピソードに戻りましょう。
学級崩壊に悩む中学教諭に、立ち直りのヒントを与えてくれたのは、恩師からのアドバイスだったと言います。
 

「生徒を思ったとおりに操作しようとする教師の欲望を捨てること」
「生徒の実態を把握することからスタートすること」

 
教諭は、恩師のアドバイスに従い、生徒を指導することではなく、理解することに務めるようになりました。生徒一人ひとりの自主性を認め、尊重するように、自身をあらためたそうです。
すると半年くらい経った頃から、生徒たちの問題行動も減っていったそうです。
生徒をクラスという総体ではなく、一人ひとりの個性をきちんと観察し、承認していくことで、信頼関係が構築されていったのでしょう。
 
 
私は、アドラー心理学が論じるところの、ほめる行為の全否定はやりすぎだと思います。
そこまで断じるのは、「さすがに作為が過ぎるのではないか?」と私は感じます。
だって、ちょっとした行為に対し、「えらいね!」とほめることは、生活と人間関係の潤滑油にもなり、お互いに幸せな気分になることができますから。
 
とがめられるべきは、手間の掛かる承認ではなく、言葉ひとつで安易に発することができる、ほめるという行為を、安易に連発してしまうことではないでしょうか。
 
やたらとほめる人っていますけど。
うわっつらの、浅いほめ方は、相手にも伝わります。
最初のうちは相手もほめられて悪い気はしないかもしれません。でも、気持ちのこもらないほめる行為を連発すれば、「ああ、この人って、なんだか薄っぺらいな…」と、いずれ見透かされてしまうことでしょう。
 
相手を承認するためには、相手の行動を観察し、「How?」に目を向けている必要があります。承認にする対象となる行動を見つけなければ、承認することはできませんから。
でも、そういった手間を惜しまず、相手を尊重するからこそ、承認する言葉は、相手に伝わるのでしょう。
 
 
 
さて、ちょっと余談を。
前述のエピソードのとおり、私は夏休みの工作を授業参観の場で、「すごい」とほめてもらえたことを、大人になっても覚えていました。
 
そのことを母に話したところ、母が苦々しい顔をして、このように語りました。
 

「あなたは、自分に都合の良いところだけ覚えていて…。
あの宿題、夏休み明けの始業式の日に、私に怒られて、いやいや作り上げたことはすっかり忘れているのね!
 
他の父兄さんもいる、授業参観の場でほめられたものだから、私、先生に申し訳なくて。
後で、先生に謝ったのよ。
 
そしたら、先生、なんて言ったと思う?
 
『知ってましたよ。だって、牛乳パックに記された製造日が9月でしたから』
 
ホント、恥ずかしかったわー(怒」

 
締切が迫り、切羽詰まらないと動き出さないのは、子供の頃からの性格だったようです。
 
 
 

連載【アメとムチはどちらが効果的なのか?】

 

  1. 「アメとムチ」は、どちらが効果的なのか?
  2. 褒めると損をする!?事故が減らせない運送会社
  3. 「叱る」の役割
  4. 怒りながら叱るのはダメ?
  5. 怒りを抑える方法
  6. 「楽しい仕事」はNGなのか?
  7. ほめすぎはNG!? 自己肯定感お化けとは?

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