1964年のある日の深夜、ニューヨークにて、後にキティ・ジェノヴィーズ事件と呼ばれる殺人事件が発生しました。
この事件では、被害女性が犯人に襲われる様子を、38人もの周辺住民が目撃していたにも関わらず、誰も助けの手を差し伸べませんでした。結果犯人は2度現場に戻り、3度も被害女性に暴行を加え、被害女性は殺されてしまいました。
犯人は、目撃者の存在に気がついていたにも関わらず、何度も被害者を襲った理由について、「発見者はすぐ窓を締めて寝るだろうと思ったし、その通りになった」と裁判で答えています。
この事件をきっかけに、社会心理学において、傍観者効果が提唱されました。
「傍観者効果(bystander effect)とは、社会心理学の用語であり、集団心理の一つ。ある事件に対して、自分以外に傍観者がいる時に率先して行動を起こさなくなる心理である。
傍観者が多いほど、その効果は強力なものになる」
※出典:Wikipedia
厄介なのが、「傍観者が多いほど、その効果は強力なものになる」というところです。
傍観者効果の原因として挙げられるのは、以下です。
- 多元的無知
同じ事案を目撃している他の人が手助け等をしない状況を見て、ことの深刻さ・重大さを過小評価してしまうこと。 - 責任分散
「(同じ事案を目撃している)周囲の人も、反応していないんだから、私だって反応しなくて良いよね?」と、手助けする責任が軽くなり、あるいは「手助けしなかったこと」を後日批判されたとしても、その批判は自分だけに向けられるものではなく、分散されると考えてしまうこと。 - 評価懸念
「手助けをする」といった行動に対し、周囲からのネガティブな評価や反応をされることを恐れてしまうこと。
また、以下のような心理的状況も、傍観者効果を起こしてしまうことが分かっています。
- 感情の麻痺
緊急事態に遭遇したことによるストレスによって、感情が麻痺し、取るべき行動が取れなくなること。 - ルールにないハプニングへの対処に迷ってしまう
先に挙げた殺人事件などは明らかに警察に通報すべきハプニングですが、後述する企業内における不祥事などは、その対応方法がルールとして明文化されていないケースがほとんどです。
結果、傍観者効果が作用し、目の前で起きているハプニングをスルーしてしまうことがあります。
企業が起こした不祥事──例えば、最近自動車メーカーが次々と引き起こしている品質検査の不正行為──などを見ていると、「なぜ、誰も『これはダメだ!』と言い出さなかったんだろう?」と思うことはありませんか?
もちろん、内部告発をしたものの、もみ消されてしまったという報道もあったりします。
また、悪意を持って、意図的に不祥事を行い、あるいは隠蔽していた従業員も中にはいたでしょう。
でも、不祥事を起こした企業に勤め、また不祥事に関わった人の大半は、私たちと同じ普通の人です。普通の人が、不祥事に関わってしまう、あるいはその当事者になってしまう原因のひとつが、傍観者効果です。
例えば、多元的無知。
品質検査のプロセス、あるいはその結果をごまかしている人を知りつつも、「みんなやっていることだし、これくらいはOKなのかな」とつい思い込んでしまう(あるいは、「自分自身を納得させる」)ケースもあるでしょう。
例えば、責任分散。
いわば、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という心理です。「私だけではない」という逃げが、不正を容認してしまう心を生んでしまうのです。
例えば、評価懸念。
自分だけが良い子になることで、組織内に自分の居場所がなくなってしまうことを懸念する人もいるでしょうね。
企業の不祥事事件を耳にし、「なぜ、そんなことをしてしまったのかなぁ」と感じる人は多くとも、もう一歩踏み込んで、「自分がもし、組織や仲間の不正を知ってしまい、あるいは行わざるを得ない立場になったら、どうするだろうか?」というところまで考える人は、少数でしょう。
傍観者効果が働きそうなシチュエーションを想像し、その際に自分がどのように行動すべきかとあらかじめシミュレーションしておくこと。
これが傍観者効果が自分自身に作用することを防ぐ対策のひとつ目となります。
傍観者効果に対するふたつ目の対策は、責任感を明確にすることです。
「自分が助けなければ、この人(被害者)は殺されてしまうかもしれない」
「自分がこの不正行為を告発しなければ、お客さまが怪我をしたり、あるいは最悪死んでしまうかもしれない」
自分が向き合っている責任の本質を明確にすることで、責任感を生み出し、傍観者効果に負けそうな自分に勝つことができるわけです。
3つ目の対策は、傍観者効果の存在を理解しておくことです。
眼の前の不正行為に対し、見て見ぬふりをしようと考えている自分に対し、「おい!、私は今、傍観者効果が作用していて、正常な判断ができなくなっている可能性があるぞ!」と考えることで、傍観者効果に打ち勝つ可能性が大きくなります。
ある時、知人は電車内で痴漢行為を目撃したそうです。
同じ女性として、被害者である女性に同情を覚えると同時に、加害者である男性に対し、猛烈な怒りを感じたそうです。
痴漢行為に気がついていたのは、彼女だけではありませんでした。周囲にいた数人が気がついていた様子だったのですが、誰も痴漢行為を止めようとはせず、また彼女自身も何も行動せず、また行動を起こさない自分自身に対し、その時は疑問を抱かなかったそうです。
後日、たまたま彼女は、加害者であった男性を目撃します。
職場仲間らしき数人と昼食を取っている男性を見て、彼女はその時初めて、「なぜ私はあの時、被害者を助けようとしなかったのか?」と強い後悔を感じたそうです。
このエピソードを打ち明けられた時、筆者はなんと言っていいか分からず、確か「そんなことがあったんだね…」くらいのことしか言えなかった記憶があります。
今考えれば、知人自身も、傍観者効果の被害者だったのでしょう。
怖いですね、傍観者効果って…
傍観者効果とは、ある種の自衛反応とも言えます。
例えば、目の前で発生している暴力行為に対し、被害者を救おうとする行為は、自分自身の身の安全を脅かす可能性が高いです。
実際に身の危険にさらされなくとも、暴力行為やら組織内での不正行為に対し、何かしらの介入を行おうとすれば、精神的ショックにさらされる可能性もあります。
傍観者効果の原因として挙げた評価懸念についても、組織内・コミュニティ内で、自身の立場を守ろうとする自衛反応とも解釈できます。
実際、傍観者効果が作用するようなハプニングに遭遇した際に、冷静に、そして正しい行動を取るのは難しいです。
だからこそ、傍観者効果のように人間の本能に根ざした心理作用をあらかじめ知っておくことで、ベストではないかもしれませんが、ベターな選択を行うことができる可能性を増やすことができるのです。