秋元通信

闇堕ちした英雄、ランス・アームストロングの人生から学ぶべきこと

  • 2024.10.11

 ランス・アームストロングという元アスリートをご存知でしょうか?
 
 ランスは、サイクルロードレースの最高峰であるツール・ド・フランスにおいて、前代未聞の7連覇という偉業を成し遂げました。しかも、それが生存率50%の精巣がんからの復帰後に達成したというストーリー性もあり、ランスはサイクルロードレース界だけではなく、広く世間に認められるヒーローとなりました。
 
 ランスは、自分自身が、がんを克服し復活を遂げた経験を活かし、「LIVESTRONG」という、がん患者および家族の支援活動を行う団体を1997年に立ち上げました。
 一説によると、広告塔としてのランスの存在ゆえに、「LIVESTRONG」は400億円もの寄付を集め、多くのがん患者と家族に希望を与えたとされています。
 
 また、がんを克服し、アスリートとして奇跡の復活を遂げたランスの半生を記したランスの自叙伝「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」(2000年刊行)は、多くの人々に勇気と感銘を与え、世界的なベストセラーになりました。
 
 一方で、ランスには現役時代からドーピング疑惑がかけられてきました。
 現役だった頃のランスは、常にドーピング関与を否定し続けていましたが、選手引退後の2013年、アメリカのTV番組において、ずっとドーピングを行っていたことを告白しました。
 
 結果、彼は築き上げた名誉、信頼を失います。
 
 
 

才気あふれる若手アスリート、25歳でがんを発症する

 
 ランス・アームストロングは、1971年、アメリカのテキサス州で生まれました。もともと身体能力には恵まれており、トライアスロンで頭角を現しはじめます。12歳の時から一般の部に参加、16歳でプロに転向、1987年~88年には、19歳以下のトライアスリートランキング1位になります。
 
 その後、ランスはサイクルロードレースに転向します。
 サイクルロードレース選手としてデビューしたて、18歳のランスは、「がむしゃら」とあだ名されていました。
 1990年、栃木県宇都宮市で行われたサイクルロードレース世界選手権において、ランスはレース序盤から集団を飛び出すと、後先考えず先頭をひた走ります。
 
 このときのことを、ランスは自著で、このように振り返っています。
 

「いったい僕は何をしていたのか。ただただ前に突き進んでいた。それは初期アームストロングの典型だった。自分勝手で目立ちたがり屋の考えなしのアタック」

 
 結果、ランスはあっという間に息切れしたものの、それでも11位でゴールします。
 レース後、コーチはランスを諌めました。
 

「(コーチは)僕(ランス)が11着で入ったことを祝うとともに(※過去のアメリカ人選手の最高位だった)、僕のやり方が好きだと言った。
 『君は失敗を恐れなかった。追いつかれたらどうしようなどと考えず、レースを戦った』
 僕はそのほめ言葉を幸せな気分で聞いた。
 その後で彼はこう付け加えた。
 
 『もちろん、もし君がもっと冷静に考えて、エネルギーを取っておいたなら、当然メダルが取れただろうがね』」

 
 その言葉どおり、ランスは、宇都宮から3年後の1993年、オスロ(ノルウェー)で行われたサイクルロードレース世界選手権において、21歳で優勝、世界チャンピオンになります。
 
 サイクルロードレースは長い距離を走り、また個人競技でありながら、チーム戦略を要します。
 
 平均時速40~50km/hで、200kmを超えるレースを走るサイクルロードレース選手にとって、一番の敵は空気抵抗です。
 空気抵抗は、おおよそ速度の2乗に比例して大きくなるため、20km/hと40km/hでは、およそ2倍の空気抵抗を受けます。そのため、チームでは、アシスト役の選手が風よけ(ドラフティング効果)になってエース選手を牽引し続け、勝負どころまでエース選手の体力を温存します。
 
 加えて、チーム同士、あるいは選手同士の複雑な駆け引きもあり、サイクルロードレースは「路上のチェス」とも称されます。
 
 サイクルロードレース選手としてデビューしたてのランスは、考えなしに自分の体力に任せて走る、いわば脳筋タイプの選手でした。これはランスに限らず、若い選手にありがちな傾向ですが、ランスが違うのは、あっという間に「知略を尽くして勝利を?む」サイクルロードレースの真髄を捉え、21歳で世界チャンピオンになったことです。
 
 
 

精巣がんとツール・ド・フランス7連覇

 
 1992年にプロサイクルロードレース選手になったランスは、サイクルロードレースの本場である欧州に活動拠点を移し、ツール・ド・フランスの区間優勝(1993年、1995年)を始め、数々の成績を挙げ続けます。
 
 アスリートとして絶頂期の1996年、ランスは精巣がんにかかってしまいます。
 

「僕の睾丸は正常の3倍の大きさに膨れ上がり、硬く、触れるとひどい痛みがあった」
(「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」より)

 
 がんは精巣だけでなく、脳と肺にも転移していました。
 医師のひとりは、生存率について50%とランスに伝えましたが、実はこれはランスを励ますための嘘であり、実は生存率は3%しかなく、ランスを励ますために嘘をついたのだと、後に医師本人から告白されたというエピソードが自著で紹介されています。
 
 ランスは過酷な闘病生活、そしてリハビリと向き合い、1998年にサイクルロードレース選手として復活します。
 その翌年の1999年、ランスはツール・ド・フランスで総合優勝し、以降7連覇を達成します。
 
 
 2003年にはNIKEと契約、「LIVESTRONG(強く生きろ)」プロジェクトを開始しました。寄付を集めるために黄色のリストバンドを発売し、その売上げをがん患者の支援にあてる運動を始めたのです。
 
 ランスは2005年、ツール・ド・フランス7連覇を果たし、一旦引退します。
 しかし3年後の2008年に現役復帰を表明し、2009年からサイクルロードレース選手として現役復帰します。
 
 ツール・ド・フランスにも出場し、2009年は総合3位になるものの、その後は芳しい成績を上げられず、2011年に再度引退します。
 
 
 

ドーピング疑惑と告白

 
 現役時代のランスには、身体機能を高めるドーピングをしているのではないかという疑いの目が、常に向けられていました。
 現役時代のランスは、ドーピングを疑うメディアや他の選手達に対し、徹底的に攻撃的な態度を取ります。もともと好戦的な性格であったことも災いし、ツール・ド・フランスの絶対的覇者として強い政治力・影響力を手にしたランスの行動は、たびたび批判の対象になりました。
 
 例えば、現役復帰後の2009年だったと記憶しているのですが、ツール・ド・フランス出場中、ランスはメディアからの取材を一切受け付けないとTwitter(現X)で発言します。
 いわく、「私には400万以上のフォロワーがおり、メディアのチカラを必要としない」というのです(※筆者の記憶に頼っているので、正確な発言ではないです)。
 
 これにはメディア──特に若く無名だった頃からランスを取り上げて、その立身出世にも貢献してきたサイクルメディア──が、猛反発しました。
 ただし、当時のフォロワー400万人というのは、SNS界隈でもずば抜けた数字でした。多くのメディアが400万以下の発行数でしかなかったこともあり、メディアは恩知らずなランスの発言に歯噛みするものの、どうすることもできませんでした。
 
 現役復帰後のランスは、チームメイトであり、すでにツール・ド・フランス総合優勝を果たしていた、若手有望株のアルベルト・コンタドール選手のアシストとして、2009年のツール・ド・フランスを走ることを宣言していました。
 しかし、実際にはコンタドールをチーム内で孤立させたり、直接的・間接的に陰湿な嫌がらせを繰り返していました。
 
 その様子は、実際に(TV放送も含め)レースを観戦していたサイクルロードレースファンにもはっきりと分かりました。2009年のツール・ド・フランス最終日の表彰台において、総合優勝を喜ぶコンタドールに対し、その隣で憮然とした表情のまま、総合3位のトロフィーを手にぶら下げていたランスの態度は、もはや取り返しもつかないほど悪化したふたりの関係を象徴していました。
 
 
 現役引退から2年後、ランスはTV番組内でドーピングをしていた事実を告白しました。
 

「『それ(ドーピング)なしで7回ツール・ド・フランスに勝つことは可能だった?』の問いには、『ノー。自分が思うに』と答えた。(中略)
 
『栄光と、完璧なストーリーが長く続いたために、手遅れになっていった。勢いで続け、7回の優勝、結婚、完璧な子どもたちに恵まれ…』と説明。
 
そして、『当時は違反をしているという自覚はなく、間違ったことをしているという感覚もなかった。ドーピングするのは、ボトルに水を入れること、ポンプでタイヤに空気を入れることと同じように、レースをするための仕事の一部のように思っていた』と、罪悪感を感じること無く、止められなくなっていく様を話した」
(出典:アームストロングがドーピングを告白 ツール7連覇のすべてで薬物を使用(シクロワイヤード)

 
 この告白によって、ランスはNIKEをはじめとするスポンサーらから巨額の賠償を要求され、信用と栄誉を地に堕としたのです。
 
 
 

先見の明もあり、才能にも恵まれていたランスは、なぜドーピングを止められなかったのか?

 
 筆者が思うに、ランスは、ドーピングだけでツール・ド・フランス7連覇を成し遂げたわけではありません。ドーピングをしなければ7連覇など不可能だったのは確かですが、ドーピングだけがすべての勝利の要因ではなかったはずです。
 
 ランスは、もともと兼ね備えていた身体能力だけではなく、知能も優れていました。
 脳筋的なレースをしていたのは、キャリア初期の頃だけで、特にがんからの復帰後は、緻密なレース戦略を実行し、クレバーに勝利を手繰り寄せていました。
 
 高度なチーム戦略を駆使し、まるで詰将棋のように勝利への道を積み上げていくさまは、面白みに欠けました。選手同士が魂を削り合うような闘いを求めていた一部のロードレースファンは、「ランスはツール・ド・フランスをつまらなくした」と猛烈な批判を浴びせたものです。
 
 また自身が株主を務めた自転車メーカー「トレック」では、風洞実験を行い、空力に優れたロードバイクを開発しました。今でこそ、ロードバイク開発に風洞実験を行うのは常識ですが、以前は、職人の勘と経験に頼ってロードバイクは設計・製造されていたのです。
 
 そして、「LIVESTRONG」プロジェクト。
 このプロジェクトは、間違いなく世界のがん患者とその家族らにたくさんの希望を与えるものでした。さらに言えば、ランスの存在そのものが、がんに苦しむ人々の希望でした。
 
 片手でとてつもない善行を行いながら、片手でとんでもない悪行を行う。
 ランス・アームストロングとは、そんな両面性を備えた人物です。
 
 ランスは、辛いがん治療やアスリートとして必要不可欠な厳しいトレーニングに耐えうるだけの強靭な精神力と、(それが善行であれ、悪行であれ)自分が成すべきと思ったことを実現できる実行力も備えていました。
 
 ではなぜランスは、ドーピングに手を染めたのでしょうか?
 ある人は、サイクルロードレース、とりわけツール・ド・フランスという競技の過酷さを、ランスがドーピングに溺れた一因として挙げます。
 ツール・ド・フランスは、23日間(うち、休息日を2日間含む)かけて3500km前後の距離を走る過酷な競技です。その過酷さを評して、ある選手は「耳たぶ以外、身体のありとあらゆるところが痛い」と発言しました。
 つまり、ドーピングとは苦難を回避するための方策であったという意見です。
 
 ある人は、ランスがシングルマザーの家庭で育ったことを一因として挙げます。
 筆者は、この考え方は短絡的だと考えます。「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」を読むと、母親との関係が、愛情や勇気を育むことに貢献していても、シングルマザー家庭という環境が、倫理観・道徳観を損なう要因になったとは思えないからです。
 
 たぶん、ランスがドーピングに溺れたきっかけは、些細なものだったと筆者は想像します。残念ながら、ランスが競技を始めた頃は、サイクルロードレース界をドーピングが蝕んでいました。選手にドーピングを勧め、食いものにしようという医師やレース関係者がいたのです。
 
 その誘惑を拒めなかったこと。
 その後、ドーピングへの傾倒を止められなかったこと。
 
 
 ランス自身の倫理観・道徳観の問題もさることながら、10代の頃からその才能をいかんなく発揮したランスに対し、ストップをかけることができる大人がいなかったことも原因のひとつではないでしょうか。
 
 権力者の周りには、Yesマンばかりが集まり、権力者に意見する人たちがいなくなっていくこと。これは企業でもよくあることです。
 スタートアップ企業でも、結果的に同じような考え方をする人ばかりが集まり、「世間の常識は、ウチの会社の非常識」がまかりとおり、公平公正な判断のモノサシが損なわれていくことも、ときに見受けられることです。
 
 ランスの自叙伝「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」のマイヨ・ジョーヌとは、ツール・ド・フランスの成績最優秀者のことであり、また成績最優秀者だけが着用できる特別な黄色のジャージを指します。最終日にマイヨ・ジョーヌを着ていた選手が、ツール・ド・フランスの優勝者となるのです。
 
 この自叙伝のタイトルは、「私(ランス)は、ツール・ド・フランスでの勝利だけを目指して生きてきたわけではない」という意味がこめられていることを、たやすく想像させます。
 
 ではランスはなんのために走っていたのでしょう。
「ただマイヨ・ジョーヌのためでなく」の中に、以下のような一説があります。
 

「僕はツール・ド・フランスに出場するとはどういうことなのかを学んだ。ツールは単なる自転車競技なのではない。それは人生を象徴するものなのだ。(中略)
それは試練だ。ツールは僕の肉体を試し、精神を試し、そして道徳的にも僕という人間を試すのだ」

 
 ここまで言っていた人物が、なぜドーピングという闇に落ちたのでしょう。
 人というのは、本当に計り知れない、そして弱い存在であることを、ランスは自身の人生をもって、私たちに反面教師として伝えてくれているように、筆者は感じます。
 
 
 


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