秋元通信

「やりがいの搾取」というジレンマ【「もっと働く権利」について考える】

  • 2025.2.12

 働き方改革については、さまざまな矛盾や課題が指摘されています。
 
 トラックドライバーの残業時間に上限規制を課した結果生じた、「物流の2024年問題」は最たる例です。
 
 また、「もっと働きたいと考えている従業員に対し、強制的に残業を行わせないというのは課題ではないか?」と指摘する人もいます。
 
 これは、残業をしない権利と同様に、残業をする権利(本稿では、「もっと働く権利」とします)についても尊重すべきではないかという意見です。
 
 悩ましいですね…
 残業の上限規制は法律ですから、会社──すなわち雇用側──は遵守する義務があります。
 
 一方で、「もっと働かせてください!」と訴える従業員の意欲に対し、「いやでもね、法律があるから…」と蓋をすることも、会社としてはやるせないものがあります。
 会社側としては、「もっと働いてもらって、ぜひ業績アップに貢献してほしい」という気持ちもあるでしょう。
 
 本稿では、この「もっと働く権利」について考えます。
 
 
 

ドラマ『まどか26歳、研修医やってます!』で描かれた「もっと働く権利」

 
 現在放送中のドラマ『まどか26歳、研修医やってます!』(TBS)第二話にて、とても興味深いテーマが取り上げられていました。
 
 芳根京子さん演じる若月まどかは、恋人と野球を球場で観戦中、上司(指導医)に対する愚痴をもらします。
 「俺たちの時代は…」と言って、9時から17時の勤務を終え、定時であがるまどかたち研修医に対し、ネチネチと嫌味を言う指導医に、まどかは不満を感じていたのです。
 
 そんなとき、まどかは、研修医に課されるカンファレンス発表(※ドラマ内では、特定の患者における医療方針等を医局内で検討します)で、大失敗をします。発表内容、つまり患者のカルテの内容を丸暗記しなければならないのに、資料を見ながら発表できるものだと勘違いしていたのです。
 発表後、まどかは指導医から嫌味を言われます。
 
「入院患者のカルテを覚えるなんて、俺たちの時代は当たり前だった。9時~5時で、時間がたっぷりあるのに、どうやって一人前になるつもりだ?手術なんて一生できねぇぞ!」
 
 別の指導医は、「彼女はまだお客さまですから」と、まどかたち世代を暗に批判します。
 
 
 一方でまどかは、恋人とのデート中もタブレットを用いて勉強するなど、プライベートの時間も自己研鑽にあてていました。恋人は、そのまどかの行動を、「それは搾取だよ」と批判します。
 
 「私たちって、どう働くのが正解なの?」、まどかは迷います。
 
 
 ある日、電子カルテシステムが、サーバダウンして使えなくなってしまいます。
 病院内はパニックになりますが、そこでまどかは指導医たちの姿に感動します。
 カルテを暗記している指導医たちは、慌てず動じず、いつもどおりに回診を行います。なぜカルテを暗記しなければならないか、その必要性を知るのです。
 
 まどかは、感動とともに焦りを感じます。
 
「この人たちと、(私たちは)はじめから土俵が違うのかもしれない」
 
 その後、ドラマ中では、まどかたち研修医が、退勤後に集まって、カンファレンス発表に向けてリハーサルを行い、カンファレンス本番においても指導医たちからの質疑応答を無事にクリアする様子が描かれます。
 
 
 

「やりがいの搾取」という課題

 
 先の『まどか26歳、研修医やってます!』において、主人公まどかの恋人は、なぜデート中に勉強するまどかの行動を「搾取だよ」と指摘したのでしょうか?
 
 「やりがいの搾取」という言葉があります。
 これは、仕事に対する「やりがい」を逆手に取り、本来支払われるべき正当な賃金や労働条件に見合わない労働を強いる行為を指します。
 
 例えば、「君にしかできない仕事だから」。
 例えば、「経験を積むチャンスだから」。
 例えば、「夢を叶えるために頑張ってほしい」。
 
 こんな言葉を用いて、たくみに従業員をより働かせたり、あるいはプライベートの時間を仕事に費やさせたりするのです。
 
 『まどか26歳、研修医やってます!』のような医療従事者であれば、患者に対する責任や、医療の社会的意義を問うことで、時間外に仕事の準備や自己研鑽をするように仕向けることが考えられます。
 
 『まどか26歳、研修医やってます!』において、一部の指導医は、勤務時間外に自己研鑽を行うことをまどかたち研修医に強います。
 研修医たちは、こういった強制には反発しますが、一方で、電子カルテシステムのサーバダウンという非常時に際して、先輩医師らが示した行動にはリスペクトを感じます。
 
 まどかの、「この人たちと、(私たちは)はじめから土俵が違うのかもしれない」という発言がその証であり、研修医たちが集まってカンファレンスのリハーサルを行う様子は、研修医たちが仕事に対する向き合い方を自ら変えたマイルストーンであったと考えるべきでしょう。
 
 ただし、強制ではないにせよ、また意図したこと絵はないにせよ、指導医たちが自ら範を示すことで、研修医たちの行動を変えたことは、結果としては「やりがいの搾取」と考える視聴者もいることでしょう。
 
 
 

「やりがいの搾取」のジレンマ

 
 ある会社では、社員が自己研鑽のためにビジネス書を購入したり、あるいはビジネススクールに通う費用、仕事に関係する資格取得のための通信教育を受ける費用を、全額会社が負担することにしました。
 本来、これは評価に値する取り組みのはずなのですが、「『やりがいの搾取』に該当するのではないか?」という議論になったこともあります。この手の自己研鑽に対し、会社が支援を行うことで、従業員は強制力を感じてしまうという理屈です。
 
「やりがいの搾取」については、さまざまな意見があります。
 
 「当人が選択して行っているんだから、問題はないでしょう」という第三者、あるいは会社側からの意見。
 あるいは、従業員の中にも、「自ら進んで行っているんだから、第三者から文句を言われる筋合いはないです」という意見もあります。
 こういった意見に関しては、「当人が『選択している』と思い込んでいる時点で、それは従業員に対する会社の洗脳だ」という意見もあります。
 
 会社が従業員の自己研鑽を支援することは、一般的には良いこととされています。従業員のスキルアップや成長を促し、会社の生産性向上にもつながるからです。
 
 しかし、その支援が従業員にとって本当に有益かどうかは、慎重に検討する必要があります。
 例えば、以下のようなケースは、「やりがいの搾取」につながる可能性があります。
 

  • 会社が指定した研修やセミナーへの参加を強制するケース
    従業員が本当に学びたいことでなかったり、キャリアプランに合致しない内容だったり、あるいはその会社内でしか通用しない知識やスキルの場合、単なる時間と労力の浪費になる可能性があります。
  •  

  • 自己研鑽の成果を会社に還元することを求めるケース
    自己研鑽で得た知識やスキルを、本来の業務以外の仕事に利用させたり、無償でサービス残業をさせたりするケースがあります。
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  • 従業員当人が自己研鑽を行う価値を正確に判断できない場合
    例えば、「MBAは、当社の業務だけではなく、世間一般でも必ず役に立つ学位だから」とMBAスクールに通わせる会社があったとしましょう。
    ただし、一般的な職種や会社では、MBAで学ぶ内容はオーバークオリティであり、またMBA学位取得で得られた知識をフル活用できる職種や会社は限られています。
    このように、会社側(上司側)が保有している知識と、従業員側が保有している知識に差があると、従業員は行おうとする自己研鑽の価値を正確に判断できないケースがあります。

 
 
 

必要なことは、多様な選択や考え方を認めること

 
 「どこからが、『やりがいの搾取』に該当するのか?」、この線引きは難しいです。
 なぜならば、正解がないからです。
 「やりがいの搾取」に該当するかどうか、その考え方や意見は、その人の性格だけではなく、生活環境や状況、会社内での地位や、あるいは生い立ちなどによっても変わります。
 
 だからこそ、大切なのは多様な考え方を尊重することではないでしょうか。
 
 また、考え方が変わることについても尊重する必要があります。
 例えば、それまでプライベートの多くを自己研鑽に費やしてきた人が、結婚や子供の誕生を機会に、家族との時間を大切にしたいと再考した結果、「もしかして、これまでの私は『やりがいの搾取』に洗脳されていたのかも?」と考えたとしても、頭ごなしに否定すべきではありません。
 
 こういった人は、ときに周囲から見ると、「なんだか以前ほど仕事に打ち込んでいないな…」と思われてしまうかもしれません。
 そういった当人の変化も含めて、多様性のひとつだと認めるべきではないでしょうか。
 
 
 昭和の頃とは違い、私たちは「もっと働く権利」を素直に主張できない令和の時代を生きています。
 残業規制は、本来労働者を守るためのものだったはずですが、逆に「やりがいの搾取」のような別の課題を生み出してしまいました。つまり、私たちは残業規制という、私たちを守る法律による盾を手に入れた代わりに、「やりがいの搾取」という新たなモラルハザードに直面し戸惑っています。
 
 繰り返しになりますが、「やりがいの搾取」という課題には正解がありません。
 「やりがいの搾取」に該当するのではないか?、という事案が100個あったとすれば、100通りの解釈があるかもしれませんし、あるいはその事案を観察した人の数だけ、解釈も増える可能性があります。
 
 だからこそ、「やりがいの搾取」に該当しそうな事案に直面したときには、その関係者(当事者、同僚、上司や部下、あるいは家族も含めて)は、よくよく話し合う必要があるのではないでしょうか。
 
 
 次号では、厚生労働省のアンケート調査から、「もっと働く権利」の実態に迫ります。 
 
 
 


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