秋元通信

大河ドラマ「べらぼう」で話題、「盲人の高利貸し」検校(けんぎょう)を解説

  • 2025.4.8

 現在放送中のNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」、おもしろいです!
 横浜流星さん演じる蔦屋重三郎こと「蔦重(つたじゅう)」という主人公の男っぷりが良く、また次々に発生する課題を持ち前の行動力とアイデアで突破していくさまも痛快なんですよね。
 
 ところで、ドラマ中では、盲人で高利貸しを営む鳥山検校(けんぎょう)なる人物が登場します。
 筆者は、今回の大河ドラマで初めて「検校」を知ったのですが、「盲人が高利貸しを営む大富豪?」「しかも徳川幕府は検校を特権階級として優遇する政策を行っていた?」と、検校なる存在に疑問だらけでした。
 
 今回は、この検校について解説しましょう。
 
 
 

盲人社会の頂点に立つ検校とは

 
 「検校(けんぎょう)」という言葉は、もともと平安時代や鎌倉時代に、寺社や荘園を監督する役職名として用いられていました。
 「検(あらためる)」と「校(かんがえる)」という漢字が示すように、物事を検査し、正す役割を担っていました。
 
 しかしやがて、検校は、寺社・荘園監督者ではなく、盲人社会の最高位を意味する言葉へと変わっていきます。
 
 
 「検校」という称号が盲人の間で用いられるようになった起源は、平安時代にさかのぼります。
 仁明天皇の皇子である人康親王(さねやすしんのう、平安時代初期に生きたとされる)は、若くして失明したため出家し、山科(現在の京都市山科区)に隠遁しました。
 隠遁後、人康親王は盲人を集めて琵琶や管絃、詩歌を教えたと伝えられています。親王の死後、側に仕えていた盲人に検校と勾当の二つの官位が与えられたのが、盲官としての検校の始まりと言われています。
 
 
 検校はやがて、中世から近世にかけて存在した男性盲人の自治的な職能互助組織である当道座(とうどうざ)の最高位に据えられます。
 
 当道座の起源は、琵琶法師たちが自らの芸道・集団を当道と称したことに始まります。ここでいう芸道とは、琵琶、平曲、鍼灸、導引、箏曲、三弦などのこと。
 室町時代には、検校の明石覚一が、足利将軍家の庇護のもと当道座を公認されました。
 
 江戸時代になると、当道座は幕府の公認と保護を受け、より大きな権威を持つようになります。
 当道座の本部は京都に置かれ、「職屋敷(しょくやしき)」と呼ばれ、長として惣検校(そうけんぎょう)が選出され、当道を統括しました。一時は江戸にも関東惣検校が置かれ、その本部は「惣録屋敷(そうろくやしき)」と呼ばれ、関八州(※江戸時代、関東八か国の総称)を統括しました。
 
 
 当道座には独自の階級制度があり、最高位の検校から順に、別当(べっとう)、勾当(こうとう)、座頭(ざとう)などの位階がありました。これらの位階はさらに細分化され、合計で73もの位があったと言われています。
 位階を得るためには、京都の職屋敷に「官金(かんきん)」と呼ばれる多額の金銭を納める必要がありました。
 
 当道座は、盲人の職業を保護する役割も担っていました。平曲や三曲、鍼灸、按摩などを盲人の独占事業として保護し、当道座内部での紛争を裁定する独自の裁判権も持っていました。
 
 さらに検校は、金融業(高利貸しである座頭金)を営む特権も与えられていました。
 もともと、徳川幕府は、当道座に対して税金を免除するなどの保護を与えており、さらに検校は集められた官金の一部が配分されていたことから、検校が財産を築き、高利貸しを営む上で有利に働いたと考えられます。
 
 
 

検校の発展と衰退

 
 大河ドラマでも登場する鳥山検校は実在の人物です。
 作中でも描かれたとおり、鳥山検校は伝説の花魁である、5代目瀬川を1400両で身請けしました。当時の貨幣価値を現在の貨幣価値に換算するのは難しいのですが、おおよそ1億4000万円~4億2000万円に相当すると考えられます。
 
 このように、鳥山検校はとんでもない大富豪であり、その財力は当時の大名にも匹敵したと伝わっています。
 鳥山検校の人となりについては、高利貸しによる強欲なイメージが強く、吉原で遊興に耽るなど、派手な生活を送っていたことも伝えられています。一方で、和歌や俳句にも通じ、客との知的な会話をたしなむ、一線級の文化人としての一面もあったようです。
 
 江戸時代中期、田沼意次の時代には、貨幣経済が発展する中で、座頭金などの高利貸しが盛んになりました。その金利は非常に高く、取り立て方法も強引であったため、武士や庶民の中には返済に苦しむ者が多く現れました。
 
 特に武士階級が借金に苦しむことは、幕府の統治にも影響を与えかねない問題です。そのため、幕府は座頭金に対する規制を強化しました。
 
 安永7年(1778年)には、鳥山検校をはじめとする複数の検校が悪質な高利貸しとして摘発され、処罰されました。これは、幕府が盲人保護という名目のもとで黙認してきた高利貸し業に対して、社会の安定を維持するために本格的な規制に乗り出したことを示すターニングポイントになりました。
 
 結果、鳥山検校は全財産を没収され、江戸を追放されます。
 
 
 

検校と蔦重、そして江戸文化

 
 NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」では、蔦重に対して「日本のメディア産業、ポップカルチャーの礎を築き、時にお上に目を付けられても面白さを追求し続けた人物」と説明をしています。
 
 ネタバレを避けるため詳細は割愛しますが、確かに蔦重が吉原を盛り上げるために行ったメディア戦略は、(脚色はされているのでしょうが)現代にも通じるものです。
 
 
 蔦重のメディア戦略が通用した背景には、江戸時代の人々における高い識字率がありました。
 江戸後期には、男女合わせて5割程度の人が読み書きができたと推定されています。ヨーロッパ諸国、例えばイギリスやフランスなどでは、識字率は2割から3割程度と言われていますから、以下に江戸時代における人々の識字率が高かったかが分かります。
 
 このような高い識字率は、日本社会や文化に大きな影響を与え、後に開国してからも近代化の礎となったとされています。
 
 
 本記事執筆時(2025年4月4日)、国会図書館東京本館において、「時代の風雲児・蔦屋重三郎」なるミニ展示会が行われています。
 大河ドラマにも登場する吉原細見も、その写しを実際に手にとって眺めることができるのですが…、達筆過ぎて、筆者にはほとんど読めませんでした。
 
 一方で大衆本に描かれた絵は、とても生き生きとしたユニークなもので、当時の人々が高い感性を持っていたことが、筆者にも伝わってきました。
 現代、日本から発信されるアニメ・マンガなどのエンタメコンテンツは世界から注目されていますが、その源流は、江戸文化にあるのかもしれません。
 
 江戸文化を支えた高い識字率、そして蔦屋重三郎の存在は、徳川幕府治世下の400年間、大きな騒乱が発生しなかった平和な時代のポジティブな側面です。一方で特権階級であることを貪(むさぼ)り、高利貸しによって人々を苦しめた検校は、ネガティブな側面です。
 
 このように考えると、検校は、絢爛(けんらん)たる江戸文化に咲いたあだ花のようにも感じられます。
 
 
 


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