東京2020オリンピック・パラリンピック(以下、TOKYO2020)を前に、日本政府は客船クルーズの積極的な誘致を政策として掲げていました。
これは観光立国政策における重要な柱のひとつでもあったのですが、2020年から始まった新型コロナウイルスの流行が、世界の客船クルーズ産業そのものに大打撃を与え、当然、客船クルーズ政策も仕切り直しとなりました。
客船クルーズとは、大型の客船に乗って海を旅するレジャーのことです。船内には、レストラン、プール、劇場、カジノ、スパなど、さまざまな施設がそろっており、移動中も退屈することなく楽しめます。
客船クルーズの魅力は、一度荷物をほどけば、次々と異なる寄港地を訪れることができる手軽さにあります。朝目覚めると新しい街に到着している、という体験はクルーズならではです。また、宿泊費、船内の食事、エンターテイメントなどが旅行代金に含まれていることが多い「オールインクルーシブ」に近い形態も多く、費用管理がしやすい点も魅力の一つです。
数日間の短いものから、世界一周のような長期間のもの、特定のテーマ(例えばグルメや音楽)に特化したもの、豪華さを追求したラグジュアリークルーズ、秘境を訪れる探検クルーズなど、さまざまな種類のクルーズがあります。
コロナ禍以前、世界の客船クルーズ産業は大いに盛り上がっており、クルーズライン国際協会(CLIA)の報告によると、パンデミック前の2019年には、世界のクルーズ旅客数は2,970万人に達していました。
TOKYO2020の開催を控え、日本のクルーズ旅行は多くの注目を集め、実際に利用する方も大きく増えていました。政府も力を入れており、2020年までに日本を訪れるクルーズ船の乗客数を100万人にするという目標を立てていましたが、なんと5年も早く2015年には111.6万人を達成しました。
この成功を受けて、2016年にはさらに大きな目標として、2020年までに訪日クルーズ旅客500万人という意欲的な目標を立てました。2019年には、実際に日本を訪れたクルーズ旅客数は215.3万人にのぼり、3年連続で200万人を超えるなど、順調に成長していました。また、日本人でクルーズ旅行を楽しむ人も35.7万人と過去最高を記録し、国内外でクルーズへの関心が高まっていたことがわかります。
この背景には、政府によるさまざまな取り組みがありました。例えば、近隣諸国と協力して新しいクルーズルートを開発したり、各地域が一体となってクルーズ船を呼び込むための協議会を設置したりしました。また、港の使いやすさを改善したり、観光地での無料Wi-Fiやキャッシュレス決済を推進したりと、クルーズ旅行をより快適にするための環境整備も進められました。
TOKYO2020では、国内外から多くの方が訪れることによる宿泊施設不足が心配されていました。その対策のひとつとして注目されたのが「ホテルシップ」という考え方です。これは、大きなクルーズ客船を港に停泊させて、ホテルとして活用するというものでした。
実際に、横浜港や東京港などでホテルシップの計画が進められました。例えば、JTBは横浜港に「サン・プリンセス」という客船を停泊させ、オリンピック期間中の宿泊プランとして提供することを発表していました。また、東京都も東京国際クルーズターミナルで短期的なホテルシップの実施を発表するなど、大会期間中の宿泊需要に応えるための新しい試みとして期待されました。
パンデミック以前の日本のクルーズ市場は、特に中国からの旅行者が全体の8割以上を占めるなど、急速な成長を遂げていました。一方で、日本人にはアジアクルーズが人気で、他のアジア諸国の方と比べて年齢層が高く、長めのクルーズを好む傾向がありました。
世界中で人気だったクルーズ旅行ですが、新型コロナウイルスの影響で、大きな打撃を受けました。日本も例外ではありません。
2020年2月には、横浜港に停泊していたクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」号で集団感染が発生し、国内外に大きな衝撃を与えました。この出来事をきっかけに、日本政府は外国からのクルーズ船の受け入れを一時的に停止することになりました。クルーズ船の寄港がなくなったことによる経済的な損失も大きく、特に寄港地の地域経済は深刻な影響を受けました。
長い停滞期間を経て、日本のクルーズ産業は再び新しい航路へと進み始めています。運航再開は慎重に進められ、政府も新しい目標を掲げています。
まず国内のクルーズから徐々に運航が再開され、2023年3月からは外国のクルーズ船の日本への寄港も再開されました。2023年には、日本を訪れたクルーズ旅客数は約35.6万人でした。コロナ禍前のピーク時に比べるとまだ少ないですが、外国クルーズ船の寄港回数はピーク時の約63%まで回復し、寄港した港の数はコロナ禍前よりも増えるなど、明るい兆しが見えています。2024年に入ると、その回復ペースはさらに上がっています。
政府は2023年3月に新しい「観光立国推進基本計画」を決定し、2025年までに訪日クルーズ旅客数をコロナ禍前のピーク水準である250万人にするという目標などを掲げました。この目標達成のため、「安心してクルーズを楽しめる環境づくり」を基本に、感染症対策の徹底、受け入れ環境の整備、官民連携による国際的なクルーズ拠点の形成、地域経済への効果を最大限に高める取り組みなどを進めています。具体的には、旅客ターミナルの改修やプロモーション活動への補助金など、さまざまな支援策が講じられています。
安全対策も進化しています。乗客・乗員へのワクチン接種の推奨、乗船前の体調確認、船内でのマスク着用推奨や換気の徹底、陽性者が出た場合の隔離体制など、状況に合わせてガイドラインが見直され、安全・安心なクルーズ旅行の実現が目指されています。
では、世界のクルーズ市場はどのような状況にあるのでしょうか。
クルーズライン国際協会によると、世界のクルーズ旅客数は2023年に3,170万人に達し、コロナ禍前の2019年の実績を上回りました。これは、世界のクルーズ市場が力強く回復していることを示しています。さらに、2027年までには約4,000万人に達すると予測されており、市場の成長は続くと見込まれています。
世界のクルーズ業界では、新しい船の建造や船隊の近代化が活発に進められています。より環境に優しいLNG燃料を使用する船や、より豪華で特別な体験ができる船、また、家族みんなで楽しめる大型船など、さまざまな新しい船が登場しています。日本の船会社も、2025年に新しい「飛鳥III」が登場予定であるほか、商船三井クルーズも新しい船の導入や建造計画を進めています。さらに、東京ディズニーリゾートを運営するオリエンタルランドも、2028年度にディズニーブランドのクルーズ船を日本で就航させる計画を発表しており、大きな注目を集めています。
また、訪れる場所や船内での体験も多様化しています。手つかずの自然が残る地域を探検するようなクルーズや、特定の趣味に特化したテーマクルーズ、短い期間で気軽に参加できるショートクルーズなどが人気です。ただ観光地を巡るだけでなく、その土地の文化や自然に深く触れることができる、質の高い体験へのニーズが高まっています。
かつての客船クルーズに対しては、「お金持ちの道楽」というイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。
しかし最近では価格も手頃で、かつさまざまなコンテンツを提供してくれるクルーズも登場しています。
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