筆者がWeb制作会社で営業として働いていた頃の話です。
当時、Web制作の世界では、CSSという新しい技術が登場しており、今後新たに制作するWebサイトでは、このCSSに対応することが推奨されていました。
会社には4人のHTMLコーダー(※Webサイトのコーディングを行う技術者)がいたのですが、CSSを考慮したコーディングができるのは2人で、残りの2人はコーディングができませんでした。
あるとき、CSSコーディングができないHTMLコーダーと雑談していたときのことです。
「なんでCSSを覚えないの?」、ふと尋ねた私に、当人はこのように答えたのです。
「実はできるんですよ、CSSに対応したコーディング。でも、それを言うと、余計な仕事を任されるじゃないですか」
ふざけていますよね。
だって、自分の能力を隠して、仕事をサボろうとしているわけですから。
しかしこれ、実は単なる「やる気がない」とか「内気な人が多い」と片付けることができない、「消極的利己主義」という、現代社会ならではの心理が隠れています。
今回は、この消極的利己主義を考えていきましょう。
消極的利己主義とは、かんたんにいうと「余計なことをせず、何もしないでいる方が、結局は自分のためになる」という考え方や行動のことです。
利己主義と聞くと、自分の利益のために他人を蹴落とすような、積極的で攻撃的なイメージを持つかもしれません。しかし、消極的利己主義はその逆です。
- 積極的に行動して利益を追求する(普通の利己主義)
- あえて行動しないことで、不利益を避ける(消極的利己主義)
このように、リスクを避けるために「何もしない」という選択を戦略的かつ積極的に行っているのが、消極的利己主義な人の特徴です。
これは、単に面倒くさがる怠惰(たいだ)とは少し違います。状況を冷静に分析した上で、「下手に動いて失敗するより、じっとしていた方がマシだ」と判断している、ある意味で計算高い状態なのです。
この考え方は、最近よく聞く「静かな退職(Quiet Quitting)」、つまり契約された最低限の仕事しかしない働き方や、波風を立てるのを嫌う「事なかれ主義」とも深くつながっています。
では、なぜ消極的利己主義に陥ってしまうのでしょうか。
それは、個人の性格だけの問題ではなく、私たちが身を置く環境、あるいは現代社会の状況に大きな原因があります。
- 「出る杭は打たれる」文化
これは多くの方が実感していることではないでしょうか。
何か新しいことに挑戦したり、目立つ意見を言ったりすると、周りから批判されたり、足を引っ張られたりすることがあります。
そんな経験が重なると、「だったら、黙っていた方が安全だ」と考えるようになるのは自然なことです。 - 一度の失敗が許されない「減点方式」の評価
日本の多くの組織では、大きな成功を一つ収めることよりも、失敗をしないことの方が評価される傾向があります。
一度でも失敗すると、その後の出世コースから外れてしまうこともあるでしょう。まるでスポーツのトーナメント戦のように、一度負けたら二度と這い上がれない…。このようなキャリアパスを「トーナメント型」と呼びます。この仕組みの中では、誰もリスクを取りたがりません。
「100点を目指して果敢に挑戦するより、ミスなく70点を取る方が賢い」という空気が、挑戦する意欲を奪ってしまうのです。 - 頑張っても報われない給与システム
昔ながらの年功序列制度などでは、人の2倍働いても給料が2倍になるわけではありません。逆に、周りの半分しか働かなくても、給料が半分になることも少ないです。努力と報酬が結びついていない環境では、「頑張るだけ損だ」という気持ちが生まれ、「そこそこの仕事」でやり過ごすのが最も合理的な選択になってしまいます。
これらの環境的な要因が、「何もしない方が得」という消極的利己主義の考え方を育て、多くの人々の心に根付かせてしまうのです。
消極的利己主義は、目に見えにくい形で現れます。
ここでは、職場などで見られる具体的な行動パターンをいくつかご紹介します。あなたの周りに、こんな人はいませんか?
- 会議ではいつも「貝になる」
意見を求められても、決して自分からは発言しません。他の人の意見に静かに頷くだけで、議論が白熱してきても我関せず。責任を問われる可能性のある発言を、徹底的に避けます。 - 「忘れてました」が口癖
少し面倒な仕事や、自分の利益にならない頼み事をされると、「うっかり忘れてました」「聞いていませんでした」と主張することがあります。これは、意図的に抵抗している「静かなサボタージュ」の一種かもしれません。 - 皮肉や遠回しな批判を言う
直接的な不満は口にしませんが、「〇〇さんは頑張っててすごいですね(自分はやりたくないけど)」のように、裏のある褒め言葉や皮肉で、間接的に自分の気持ちを表現します。 - わざと仕事をうまくやらない
難しい仕事を頼まれたときに、わざと下手にこなすことで「この人に任せてもダメだ」と思わせ、次から頼まれないように仕向けることがあります。
これらの行動は、本人に悪気があるというよりは、自分を守るための防衛本能から来ている場合がほとんどです。しかし、周りの人にとっては、じわじわとストレスが溜まる原因にもなってしまいます。
では、消極的利己主義な人に対しては、どのように対処すればよいのでしょうか?
相手を変える──消極的利己主義な行動をやめさせる──のは難しいですが、少し関わり方を変えるだけで、状況が改善するかもしれません。ここでは、個人レベルでできる簡単なヒントをいくつかご紹介します。
- 「オープンな質問から、具体的な質問へ」
会議などで意見を求めるとき、「何か意見はありますか?」という漠然とした質問では、誰も手を挙げにくいものです。
そこで、「〇〇さん、この企画について、営業の視点から何か懸念点はありますか?」のように、相手を名指しして、具体的な役割に基づいた質問をしてみましょう。答えやすさが格段に上がり、発言のハードルを下げることができます。 - 「感情的にならず、事実を伝える」
仕事の遅れなどを指摘する際に、「なんでいつも遅いの?」と感情的に責めるのは逆効果です。相手はさらに心を閉ざしてしまいます。
そうではなく、「金曜日の17時までにこの報告書をいただけると、私の作業がスムーズに進むので助かります」というように、「私」を主語にして、事実と具体的な要望を冷静に伝えましょう。 - 「小さな挑戦を褒める文化を作る」
これは少し上級編ですが、もしあなたがチームの中で少しでも影響力がある立場なら、結果だけでなくプロセスを評価することを意識してみてください。たとえ失敗に終わったとしても、「〇〇さんのあの挑戦は、チームにとって良い刺激になったよ」と声をかける。そうした小さな積み重ねが、「失敗しても大丈夫なんだ」という安心感(心理的安全性)を生み、消極的な空気を少しずつ変えていく力になります。
仕事柄、筆者は他社の会議に出席し、オブザーバー的な役割を担うことがあります。
「・・・とここまで説明してきましたが、何かご意見、あるいは別のアイデアはありますか?」、このように司会進行役が会議参加者に尋ねても、誰も何も発言しない様子を見ることがあります。
ところがこのとき発言しなかった参加者が、会議終了後、筆者に話しかけてくるケースも、これまたよくあります。
「◯◯さんの△△という意見、私は無理があると思うのですが」
「なぜですか?」
「だって、**というリスクを考慮していませんよね?」
そこまで考えていたのであれば、なぜ会議中に発言しなかったのでしょうか?
そして、会議中に発言しなかったご自身の意見を、なぜオブザーバーであり、社外の人間である筆者に伝えようとしてくるのでしょうか?
筆者が見てきたところ、このような行動を取る人には、以下のように分類できます。
- 相手への配慮から、公の場での批判を避ける人
- 目立ちたくないため、第三者を利用して批判する人(消極的利己主義)
- 批判の効果を高めるため、発言力のある人物を利用する人(利己主義)
このように、行動の裏にある動機は様々です。
ただし、いずれのケースも、「会議という公の場で、公然と主張する(※このケースでは批判)と、何かしらの差し障りが生じる」という環境が生み出したとも考えられます。
つまり、自由な発言を会議の場で行うことに対する心理的安全性が確保されていないわけです。
このように消極的利己主義は、個人の性格の問題に加え、「出る杭は打たれる」「失敗が許されない」といった社会や組織の仕組み、あるいは日本的同調主義が生み出した、自己防衛のための生存戦略という要素があることは知っておくべきでしょう。
消極的利己主義な人を、頭ごなしに批判するのはNGということです。
もちろん、持って生まれた性格として、消極的利己主義な考え方をしがちな人はいます。しかし、それはそれ。
職場のような環境において、消極的利己主義が強く発現するか、それともあまり発現しないかは、やはりその環境の持つ影響が反映されます。
もしあなたの会社における会議で、「積極的に『発言しないこと』を選んでいる」消極的利己主義な人が多数いるのであれば。
それは職場の雰囲気や文化などが閉塞的で、「健全とは言えない状態にありますよ」という黄色信号なのかもしれません。






