秋元通信

他人事ではない!?、「悪貨が良貨を駆逐する」グレシャムの法則とは

  • 2025.11.28

全日本トラック協会の坂本克己会長(当時。現在は最高顧問)は、2023年の年頭所感において以下のように述べています。
 
「悪貨が良貨を駆逐することのないよう公平公正な競争の基盤を確立するとともに、問題のある荷主に対しては、改正貨物自動車運送事業法や独占禁止法等の諸々の法律により、適切な指導を行っていただき、真面目な事業者がより効率的に事業運営を行える社会にしていかねばなりません」
出典:https://jta.or.jp/ippan/onegai/new_years_greetings2023.html
 
以降も坂本氏は、改正物流関連2法や坂本新法などの必要性を訴える場面で、何度も「悪貨が良貨を駆逐することのないよう」という表現を繰り返しています。
 
このように、現代のビジネス課題を指摘する際にも引用される「グレシャムの法則」について、解説しましょう。
 
 

グレシャムの法則とは?

 
「悪貨は良貨を駆逐する(Bad money drives out good)」
 
この有名な格言で知られる「グレシャムの法則」は、経済学における貨幣流通の法則のひとつです。
 
グレシャムの法則とは、「額面価値(名目)が同じで、素材価値(実質的な価値)が異なる2種類のモノが同時に市場に存在する場合、素材価値の高いモノ(良貨)は市場から姿を消し、素材価値の低い方(悪貨)だけが市場に残る」という現象を指します。
 
グレシャムの法則は、16世紀のイギリス王室財政顧問、トーマス・グレシャム(Thomas Gresham、1519-1579)の名前に由来しています。
 
グレシャムが活躍する少し前、イギリス国王ヘンリー8世は、財政難(宮殿の建設やフランスとの戦争費用)を解決するために禁断の手段に出ました。それは「貨幣の改鋳(悪鋳)」です。
 
1540年代、彼は銀貨に含まれる銀の含有量を劇的に減らし(92.5%から最終的には約25%まで低下)、代わりに安価な銅を混ぜました。これにより、同じ銀の量からより多くの硬貨を発行し、一時的に財政を潤そうとしたのです。
この政策は、以下のような深刻な悪影響をもたらしました。
 

  1. 「赤鼻の親父(Old Copper Nose)」の汚名
    発行された悪貨は質が悪く、すぐにメッキが剥がれました。特に硬貨に刻印されたヘンリー8世の肖像画は「鼻」が一番出っ張って擦れやすかったため、そこから地金の銅(赤茶色)が露出し、彼は陰で「赤鼻の親父」とあだ名されました。
  2.  

  3. 良貨の消滅とインフレ
    人々は劣化した「悪貨」をすぐに手放し、昔の「良貨」を壺に入れて隠したり海外へ持ち出したりしました。市場からは良質な銀貨が消え、信用できない悪貨だけが溢れた結果、物価が高騰(インフレ)し、経済は大混乱に陥りました。

 
 
なぜ、2.のようなことが起きたのでしょうか?
 
例えば、以下の2つの「100円硬貨」があるとします。

  • 良貨: 純銀製で、金属そのものに200円分の価値がある100円玉
  • 悪貨: 安い鉄製で、金属としての価値は1円しかない100円玉

 
どちらもお店では「100円」として使えます。この場合、合理的な人が取る行動は以下のように予測されます。

  • 良貨(銀製の100円)は、溶かして売れば200円になるため、使わずに手元に隠します(退蔵)。
  • 悪貨(鉄製の100円)は、手元に置いておいても価値がないため、支払いに積極的に使います。

 
結果として、市場には「鉄製の100円(悪貨)」ばかりが出回ることになります。
これが、2.のような現象が起きた理由であり、グレシャムの法則における基本原理です。
 
 
ヘンリー8世の死後、混乱した経済を引き継いだのが、彼の娘であるエリザベス1世です。
1558年11月、即位直後の彼女に対し、財政顧問となったトーマス・グレシャムは、「亡き父王による粗悪な貨幣の発行が、優れた古い貨幣を海外流出(または退蔵)させてしまい、イギリスの通貨価値を暴落させている」と直言しました。 彼は「通貨の信用を取り戻すには、父の負の遺産である悪貨を回収し、純度を元に戻す(良貨を発行する)しかない」と強く進言しました。エリザベス1世はこの進言を受け入れて通貨改革を断行し、イギリス通貨の信用回復に成功しました。
 
なお、実はグレシャム自身がこの法則を発見した最初の人物ではありません(コペルニクスなども同様の指摘をしていました)。しかし、19世紀の経済学者ヘンリー・ダニング・マクラウドが、グレシャムの功績を称えてこの現象を「グレシャムの法則」と名付け、広く知られるようになりました。
 
 

デジタル社会で加速する「現代のグレシャムの法則」

 
金本位制から管理通貨制度へと移行し、通貨の素材価値が意味を持たなくなった現代において、物理的な「悪貨」は姿を消しました。しかし、「情報の非対称性」や「質の評価が困難な市場」において、グレシャムの法則はかつてないほど深刻な問題となっています。
特にデジタル社会では、ツールやAIの進化により「悪貨(低品質な偽物)を作るコスト」が大きく下がったため、良貨が駆逐されるスピードが加速しています。
いくつか事例を挙げましょう。
 
 
◯ 生成AIと「死んだインターネット説」(Dead Internet Theory)
 
インターネット空間そのものが「悪貨」で埋め尽くされつつあるという仮説です。

  • 悪貨(AI生成コンテンツ)
    事実確認が曖昧で独自性がなく、ツールで大量生産された記事や画像。かつてのヘンリー8世が銅を混ぜて硬貨を量産したように、コストをかけずに大量発行されます。
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  • 良貨(人間による一次情報)
    取材や経験に基づき、時間とコストをかけて制作された信頼できるコンテンツ。
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  • 駆逐のメカニズム
    検索エンジンが「人間が書いた良質な記事」と「AIが量産したそれっぽい記事」を見分けられない場合、圧倒的な量と更新頻度を誇るAIコンテンツが検索上位を占拠します。ユーザーは「検索してもゴミ情報しか出てこない」とネット検索への信頼を失い(市場からの退出)、ネット上は本物の価値を求めるユーザーが退場し、偽物で満足してしまうユーザーばかりが残るディストピア※と化すリスクがあります。
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    ※ディストピア
    反理想郷や暗黒世界を意味する言葉で、ユートピア(理想郷)の対義語

 
 
◯ SNSと「アテンション・エコノミー」
 
情報の正確さよりも、「人々の注目(アテンション)を集めること」が通貨としての価値を持ってしまっている状況です。

  • 悪貨(極論・フェイクニュース)
    怒りや不安を煽るデマ、過激な誹謗中傷。これらは感情を刺激するため拡散されやすい。
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  • 良貨(事実・冷静な議論)
    地味で退屈な真実、中立的な報道。
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  • 駆逐のメカニズム
    SNSのアルゴリズムは、ユーザーの滞在時間や反応数を重視します。手間をかけて裏取りをした正しい情報(良貨)よりも、一瞬で感情を揺さぶるデマ(悪貨)の方が圧倒的に効率よく拡散されます。結果、真面目な発信者は無力感から沈黙し(≒退蔵)、SNS空間はノイズと分断で満たされてしまいます。

  
◯ 組織・人事(ブラック企業化)
 

  • 悪貨(悪質な社員)
    声が大きく、他人の成果を横取りしたり、ルールを軽視したりする。
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  • 良貨(優秀な社員)
    真面目で能力がある。
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  • 駆逐のメカニズム
    評価制度が機能していない場合、優秀な社員は環境を嫌って退職(退蔵・流出)し、悪質な社員だけが会社に残ります。

 
 
冒頭に挙げた、坂本氏が懸念する運送業界の「悪貨が良貨を駆逐する」状態も考えましょう。
 
◯ 運送業界(価格競争と品質低下)
 

  • 悪貨(ルール破りの事業者)
    法令を無視し、安全コストを削って安値で請け負う。
  •  

  • 良貨(真面目な事業者)
    法令を遵守し、適正なコストをかけて安全輸送を行う。
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  • 駆逐のメカニズム
    荷主が「運賃の安さ(額面)」だけで業者を選び、安全性や輸送品質(実質価値)を評価しない場合、コストのかかる優良な事業者は市場から撤退せざるを得ず、社会全体の安全が脅かされます。

 
 

悪貨を掴まされた人は、必ずしも被害者ではない

 
グレシャムの法則について考えるとき、留意しなければならないことがあります。
それは、「悪貨を掴まされた人は、必ずしも被害者ではない」という点です。
 
グレシャムの法則が生まれたヘンリー8世による治世下、悪貨を積極的に利用し、良貨を溜め込み、結果として経済を混乱させたのは、悪貨を掴んだ人たちでした。
同様のことは、現代における(特にネットを介した)デマの拡散でも発生します。
残念ながら、情報の真贋を確かめようともせず、条件反射的に「いいね!」や拡散をするネットユーザーは枚挙に暇がありません。
 
さらに言えば、「この情報は怪しいかも?」と感じながらも「おもしろいから」「人々の関心を惹きそうだから」「いいね!が稼げるから」といった理由で拡散するユーザーもいます。
こういった無自覚・無責任な悪意が、現代社会における「悪貨が良貨を駆逐する」グレシャムの法則による被害を拡大させていることに、私たちはもっと真剣に向き合う必要があるのではないでしょうか。
 
 
冒頭に挙げた、坂本氏の発言を振り返りましょう。
同氏の発言後、2024年には働き方改革関連法により「物流の2024年問題」が顕在化しました。これを防ぐため、2025年以降、物流関連2法が改正され、また運送事業許可の更新制導入などを盛り込んだ坂本新法(トラック事業適正化関連2法)が今後施行されます。
 
では、「悪貨が良貨を駆逐する」、すなわちコンプライアンス違反を前提に安売り運賃を続けるブラック運送会社が、コンプライアンスをきちんと遵守するホワイト運送会社を駆逐しているかと言えば、これは微妙なところです。
 
もちろん、一部ではブラック運送会社の噂も耳にします。
しかし、ブラック運送会社とあえて取引をするブラック荷主は徐々に淘汰されているようにも感じています。と言うのも、「ヒト・モノ・カネの三位がすべて揃い、経営が順調なブラック運送会社」というのは(世の中に存在しないわけではありませんが)数少ないため、あえてブラック運送会社を選ぼうとしても、難しくなりつつあるからです。
 
一方で、物流業界内、あるいは中小を中心とした荷主企業側からは、「そうは言っても、運送業界の最新動向を知らない中小荷主の中には、知らずしてブラック運送会社と付き合い、そして徐々に『モノが運べない』という事態に陥りつつある」という懸念の声も上がっています。
 
こういった知識不足の荷主が、図らずして経営的な苦境に追い込まれるのを看過するのは、「物流業界としての責任放棄につながるのでは?」、という考え方です。
 
情報の非対称性──すなわち情報弱者であること──を理由に、「悪貨を掴まされた人は本当に被害者なのか?、真の姿は、実は加害者ではないのか?」という考え方があります。
これは「経済学に基づいた頭でっかちな考え方では?」「言わんとしていることは分かるけど、厳し勝るのでは?」という意見もあります。
 
本稿では、あえて結論は出さないでおきましょう。
皆さまは、どう思いますか?


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