秋元通信

「社員は家族」と言っていた運送会社社長が、考え方を改めたら離職率が減った話

  • 2026.4.17
従業員が20人ほどの、ある中小運送会社の社長の話です。
 
創業以来、この社長(「A社長」とします)は「社員は家族だ」という考え方を大事にしてきました。
ところが創業から10年ほどが経過し、この考え方に疑問を感じ始めました。
 
「どうも自分が社員たちに感じているような愛情を、社員たちは私に対して抱いていないのではないか…?」
 
時流もあり、A社長は屋内禁煙を定めました。
しかしA社長が帰社すると、室内にはタバコの匂いが残っています。
 
「ん?、タバコの匂いがするぞ。室内は禁煙にしたよな?」
「すいません、服にタバコの匂いが染み付いているのかもしれません」
 
右腕として頼りにしている配車マンからそう言われてしまっては、「そうなのかもしれないな…」とA社長も一度は思いました。
 
しかし、同じようなことが何度も続き、また他の社員らも社長がタバコの匂いを指摘すると、白々しく目をそらすようになりました。
そんなある日、荷主からクレームが入りました。
 
  • 輪留めをしていない
  •  
  • 出発前にトラックの周囲を指差呼称でチェックするルールが守られていない
  •  
 
意を決したA社長は、外出するふりをしていったんクルマで事務所を出た後、クルマをコインパーキングに駐車して徒歩で戻りました。
 
すると、頼りにしていた配車マンら事務員たちが事務所内で喫煙していたのです。
 
「裏切られていた!!」、一瞬、怒りで頭が真っ白になったA社長ですが、怒鳴りたくなる気持ちを抑え、「室内は禁煙だって言ったよな、二度と吸うな」と伝えたそうです。
 
それまで、A社長のやり方は「社員を信じる」ことを前提とした放任主義に近いものでした。しかし以降はやり方をあらため、ルールを社内に掲示し、またルールが遵守されているかどうかを自らの目でチェックするようになりました。
 
すると半年ほどの間に、3分の2の社員が退職したそうです。
中小企業において、これだけの社員が辞めてしまえば、経営にも悪影響が生じます。売上も下がり、新たに採用活動を続けるなど、会社を維持するために奮闘する中で、A社長の考え方も変わっていきました。
 
「社員は家族じゃない。私、あるいは会社と社員の関係性は、あくまで雇用関係でしかない」──A社長は葛藤しつつも、諦観※とともに、この考え方を受け入れていったのです。
 
それから数年が経過しました。
この運送会社は、順調に業績を伸ばしています。これだけトラックドライバー不足が騒がれる中、採用活動も順調だそうです。
 
 
※諦観(ていかん)
本質を見極めた上での受け入れること。
 
 
 
 
 
家族主義経営を旨とした松下幸之助氏との違い
 
松下電器産業の創業者であり、カリスマ経営者として広く知られる松下幸之助氏も、家族主義経営を旨としていました。
 
しかし、松下氏が実践していた家族主義経営の中身は、その言葉の持つイメージとは少しかけ離れています。
 
 
松下幸之助氏が提唱した「家族主義経営」は、単なる「経営者による温情主義」や「甘えのある共同体」ではありません。その真髄は、「社会の公器」という公(おおやけ)の視点と、社員一人ひとりが一国一城の主として振る舞う「自立型の家族」という概念の融合にあります。
 
 
まず松下氏は、「会社は経営者個人の持ち物ではなく、社会から預かっている資源(人・物・金)を用いて、社会に貢献するための公共の機関である」と考えました。これが「社会の公器」という思想です。
 
この視点において、経営者と社員の関係は「私的な親子関係」を超越します。社長が社員を「私の子ども」と見なすとき、そこにはしばしば私物化や個人的な見返りへの期待が混じります。しかし、松下氏の文脈では、社員もまた「社会からの預かりもの」です。
したがって、経営者の役割は感情的に社員を愛でることではなく、彼らが社会に貢献できる立派な人材(プロフェッショナル)となるよう、公的な責任を持って育成することに置かれました。この「公」の意識が、過度な情緒的癒着を防ぐ防波堤となっていたのです。
 
 
また松下氏は社員に対し、社員稼業という考え方を求めました。これは「社員一人ひとりが独立した個人事業主であるという意識で、自らの仕事を経営せよ」という教えです。
 
彼が理想とした「家族」とは、互いに寄りかかる依存関係ではなく、同じ志を持つ自立したプロ同士の結束を指します。
 
  • 経営者は、社員を子供扱いして保護するのではなく、一人の自立した大人として信頼し、権限を委譲すること
  •  
  • 社員は、会社に養ってもらうという受動的な態度を捨て、自らの責任で成果を出し、組織に貢献すること
  •  
 
この自律性があるからこそ、家族のような強い絆(ウェットな関係)があっても、組織としての規律や生産性(ドライな側面)が維持されたと考えられます。
 
 
 
 
 
絆が先か、それともプロとしての相互尊重が先か?
 
A社長のエピソードは、実は特定の会社の話ではありません。
筆者は仕事柄さまざまな物流事業者を取材してきましたが、その中で何度も聞いた、似たようなエピソードをつなぎ合わせたものです。
 
エピソードのような経験をした経営者らは、決して情に薄い人たちではありません。
それどころか、むしろ筆者は「こんなに社員たちと仲が良さそうなのに…」とむしろ疑問を感じる方もいらっしゃいました。
 
筆者が抱えていたこの矛盾は、ある有名マンガ家と名物編集担当者のインタビュー記事を読んだことで解消されました。
 
このマンガ家の初期作品では、たびたびあとがきに編集担当者が登場し、また編集担当者をモデルにした悪役キャラクターまで登場していました。だからずっと「このふたりはすごく仲良しなんだろうな」と思っていたのですが、ある時、編集担当者に対して行われたインタビューで「マンガ家と編集担当者は友だちではない」と発言しているのを読み、目から鱗が落ちたように納得しました。
 
このふたりは間違いなく、志をともにする戦友でした。その絆はお互いのプロフェッショナルな仕事ぶりに基づく尊重と尊敬が先にあったのです。友情はあったのでしょうが、この友情は、プロとしてお互いに認めあうことが先で、後付けされたものなのです。
 
松下幸之助氏の家族主義もまた、その根底には自立した個人の確立がありました。会社を社会のための場と定義し、社員にプロとしての自覚を求めること。
その土台の上に、初めて家族のような慈しみを積み上げたのであって、逆ではありませんでした。
 
社員を家族のように愛することは悪いことではありません. しかし、社員を会社に従属する存在、すなわち依存的な子供と捉えるのは間違っています。さらに言えば、「私(経営者)が君たち社員を家族のように愛するから、あなたがた社員も経営者を親のように敬いなさい」というのも違うでしょう。
と言うのも社員もまた、経営者を評価する権利がありますし、評価に値しない経営者を「親のように敬いなさい」というのは無理があるからです。
 
 
家族主義を謳う経営者が限界を感じ、「雇用関係である」と割り切ることで組織と経営が安定したのは、絆の存在を前提とした甘えた労使関係から、お互いにプロとして認め合う成熟した関係へと成長を遂げたことが要因なのです。

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