前回の秋元通信では、メディアや政府が煽るような縦割りのスペシャリスト(〇〇人材)ばかりを集める限界と、地続きの課題を一気通貫で解決できるとして注目される「フルスタック型人材」について解説しました。
ただし、現実的に考えるとフルスタック型人材を、「集める」もしくは「育成する」ことはできるのでしょうか?
「よし! 我が社もエース社員をフルスタック人材に育てるぞ。とりあえず週末に生成AI講座やデータ分析のオンラインスクールを受けさせよう!」なんて、安易に考えないでくださいね。
断言しますが、そのアプローチでは100%失敗します。
もちろん、中には完璧なフルスタック人材をイチから育てることができる企業もあるでしょう。しかし、これができるのは一部の限られた企業だったり、あるいは運の良い(=たまたまフルスタック人材としての素養を持った人材がいた)企業に限られます。
この点で、前編で述べたように政府がフルスタック人材育成へと舵を切った(国家試験である情報処理技術者試験内容の変更)を行ったのは、民間企業における人材育成のミスリードを招く危惧があります。
今回は、現実的な人の育て方、知識の積み重ね方、そして組織における人材の活かし方について、秋元通信流にさらに深掘りして考えていきましょう。
「データ分析も完璧、AIの実装も完璧、セキュリティもバッチリで、業務知識もプロ級…」 そんな100点満点のフルスタック人材など、そう簡単に存在するはずがありません。奇跡的に現れたとしても、(前編でリスクとして指摘したとおり)引き抜きやバーンアウトのリスクが常に付きまといます。
そもそも、ビジネスの現場で求められているのは「100点」なのでしょうか?
現場の課題を解決するだけであれば、完璧なフルスタックである必要はないのではありませんか?
現実的で最も成果が出る解として、「自分の専門領域(本業)」に「別のデジタル知識・技能」を少しだけ加えた「ちょい足し人材」を提案します。
- 営業のプロ +「生成AIで提案書を自動作成するスキル」
- 経理のベテラン +「AIとの対話(バイブコーディング※)でGAS(GoogleAppsScript)やVBAを作成し、業務を自動化するスキル」
- 現場の製造担当 +「簡単なデータ分析で歩留まりを可視化するスキル」
バイブコーディング(Vibe Coding)について補足します。
プログラミング言語のお作法をイチから暗記して手動でコードを書くのではなく、生成AIに「こんな集計ツールを作りたい」と自然な日本語で指示を出し(ノリ=バイブスで対話し)、AIが生成したプログラムを実装していく最新のプログラム開発スタイルのことです。
プログラム言語を知らない非エンジニアであっても、対話だけで実践的なGASやVBAを作成できるため、まさに「ちょい足し人材」の強力な武器となります。
現実的に現場で求められる業務改善・変革への取り組みにおいては、まずはこれくらいで十分でしょう。自分のコア業務に、隣接するデジタルスキルが「30〜60点レベル」でちょい足しされているだけで、業務効率は劇的に変わります。
「100人に1人」の現れるか分からないフルスタックなスーパーマンを追い求めるのはやめましょう。
目指すべきは、「社内の10人中8人を育成できる」ような「ちょい足し人材」の再現可能な育成です。
では、社員を「ちょい足し人材」に育てるにはどうすればよいのでしょうか。
ここでよく引き合いに出されるのが、業務時間の20%を自分の好きなプロジェクトに使ってよいという、Googleの「20%ルール」です。
20%ルールについては、以前秋元通信でお届けしたことがあります。
これを真似て「週に1日はDXやAIの勉強をしていいよ」と社員に伝える企業があります。
しかし、大抵は誰もその制度を使いません。
なぜなら現場の社員は、毎日のルーティンワークをこなすだけで精一杯だからです。
Googleの制度は、自走して高みを目指すことができる「意識高い系」の人たちが、「Googleという職場」がもたらす高いモチベーションを燃料に本業を爆速で終わらせて時間を捻出する、いわば「足し算(100%+20%)」を前提としています。
これをそのまま一般企業に適用すると、社員にとってはただの「業務増のプレッシャー」になってしまいます。
社員を育てるために必要なのは、真逆の「引き算の思想」です。
- 誤ったアプローチ
「通常業務はそのままやってね。プラスで勉強時間を2割あげるよ」(足し算の発想に基づくからNG) - 適切なアプローチ
「組織が介入して、現在の通常業務の2割をチームで引き取り、DXやAIの勉強をする余裕を作ってあげるね」(引き算の発想なので、受け入れやすい)
「この2割の時間を空けたから、新しいツールやAIを触ってみて」と、会社がトップダウンで業務を削る覚悟を示して初めて、社員は新しいスキルを身につける余裕が生まれるのです。
筆者は従業員にバイブコーディングを学ばせた企業を取材したことがありますが、この企業では、それまで社内研修や会議に費やしていた時間を、生成AIを使ったバイブコーディングの研修にあてたそうです。
脳のメモリを空けたあとに重要なのが、学習の「アウトプット環境」と「報われ感」です。
- 「座学」と「打席(実践)」をセットにする
バイブコーディングやデータ分析のeラーニングをダラダラ受講させても、実務で使わなければすぐに忘れます。
「失敗してもいいから、生成AIと会話しながらバイブコーディングで部署内のExcel用VBAやスプレッドシート用GASを作成・自動化してみて」「生成AIを使って議事録作成を半分の時間にするプロンプトを作ってみて」といった、社内の身近で泥臭い「打席」をすぐに用意してあげることが大切です。 - 「モチベーション(評価と待遇)」をセットで設計する
ここが最も見落とされがちですが、最も重要なポイントです。
せっかく「ちょい足しスキル」を身につけて業務を効率化しても、評価が変わらず「〇〇さんは手が空いているから、他の雑用もやって」と仕事を増やされたらどうでしょうか。社員のモチベーションは暴落し、結果として転職してしまいます。だからこそ、スキルを身につけ、成果を出した人がしっかりと報われる仕組みを用意しなければなりません。
具体的には、スキル獲得や業務改善の実績をきちんと昇給やボーナスに反映する「給与還元」をはじめ、マネージャー(管理職)にならなくても現場の改善担当として正当に評価され昇進できるキャリアパスを設けることが効果的です。
さらに、「社内だけでなく社外でも通用する実践的なスキルが身につく」という個人にとっての市場価値向上のメリットも、明確に言語化して伝えてあげる必要があります。
「スキルをちょい足しすると自分の仕事が楽になり、給料も上がり、どこでも活躍できる人材になれる」という健全な欲求とセットで設計して初めて、人材育成は組織に根付く持続可能な仕組みとなるのです。
ここまで「フルスタック型人材」や「ちょい足し人材」を解説してきましたが、すべての組織がスペシャリストを捨てて「全員フルスタック/ちょい足し」を目指すべきというわけではありません。自社の成長段階(フェーズ)に応じた使い分けが求められます。
- フルスタック型/ちょい足し型が向いている企業(0→1、1→10の事業立ち上げ・成長期)
「0→1(ゼロからサービスや仕組みを生み出す立ち上げ期)」や「1→10(形になったビジネスを試行錯誤しながら軌道に乗せる成長期)」にあたる、リソースの少ない中小企業や新規事業チームです。
この時期に何より求められるのは、スピード感と柔軟性です。縦割りの調整コストをかけず、1人〜少人数で一気通貫で動ける「フルスタック型人材」や、各自が隣の領域を柔軟にフォローし合える「ちょい足し人材」が圧倒的な強みを発揮します。 - スペシャリスト型が向いている企業(10→100の拡大・安定運用期)
「10→100(確立された仕組みを全国や大規模に広げ、安定して運用していく拡大期)」にあたる、資金力のある大企業や成熟事業です。
この時期に最優先されるのは、型を決めて「誰が抜けても業務が回る組織(代替可能性)」をつくることと「極めて高い品質の維持」です。マニュアルや分業体制をしっかりと整え、各領域を高度に深く追及するスペシャリストたちが整然と機能する組織が真価を発揮します。
なお、スペシャリスト型人材については、前回記事において解説しております。よろしければ読み返してくださいね。
今回のテーマを思いついたのは、あるスタートアップが開始した「高度AI人材育成講座」を取材したときでした。
この講座は既に大手企業から注目され、大手物流企業でも導入を決めたとのこと。
ただ、その説明を受けた筆者の脳裏には、以下のような疑問が浮かんだのです。
- これって人材が豊富な大企業だから受講できる講座じゃないの?
- 人材育成とはいうものの、実際の受講対象候補選抜のプロセスは、「優れた素養のある人材」を選抜することが前提になっているような…。
最近では、「データアナリスト」「DX人材」「高度AI人材」「高度物流人材」などの高度な能力を備えた人材に対する呼称が乱立しています。
現実的には、例えばデータアナリストは、DX人材にも高度物流人材にもなりうる素養をそもそも備えている可能性が高いです。結果、「高度◯◯人材を育成する」という考え方は、イコール「素養を備えた人材のピックアップ」が前提となっている可能性を強く感じたのです。
この仮説が正しいとすれば、特に従業員数が少ない中小企業において、高度◯◯人材を育成できるかどうかは運次第になります。
むしろ、「100点ではないけど、そこそこの能力を備えた」ちょい足し人材の育成こそが、現実的な解決策となるでしょう。
ただし、ちょい足し人材の育成にしても、企業側(経営側)は覚悟と意識変革を強いられます。
まず大切なことは、「ウチの子たちは無理だ」と従業員たちの可能性を頭ごなしに否定しないこと。
そして会社として正しい「引き算(時間の確保)」を行い、小さな「打席(実践)」を与え、成果に応じた「評価と待遇(モチベーション)」を約束すること。
そのうえで、早急に結論を出すことなく、長い目で人材育成を行うことです。
先日、筆者が取材したある中小企業では、従業員たちにタイピングレッスンや、「Ctrl+C」(※コピーを行うPC操作のショートカット)などから研修を行い、現在ではバイブコーディングを実践できるようになったそうです。
実際のところ、「Ctrl+C」を知らないようなPC・ITリテラシーの会社であれば、「ウチはデジタル化なんて無理だよ」と手掛ける前から諦めてしまいそうですが、この取材先ではこれを実践したわけです。
誤解しないでほしいのですが、フルスタック型人材の育成が可能な企業の場合、今すぐに着手すべきです。
本記事の目的は、フルスタック人材を全否定することではなく、フルスタック人材の育成が難しい場合のセカンドプランをご提案することであることは、強調しておきましょう。
前後編に渡ってご紹介してきたことは、「言うは易く行うは難し(いうはやすくおこなうはかたし)」の典型ではあります。しかしながら、生成AIなどが台頭してきたからこそ、これからの企業経営においては、より人材育成に投資することが必要になっているのです。






