こんな記事がありました。
記事中では、ニコラス・ケイジ氏が主演の未公開映画『Fortitude』のマスターデータが入ったストレージが、Netflixのオフィスから盗難されたこと。
このことによって、同作のプロデューサー(制作側)が「映画の商品価値が失われた」と主張し、約160億円(1億500万ドル)の損害賠償を求めて提訴したことが報じられています。
このケースをもとに、本記事では危険負担について解説するとともに、もう一歩踏み込んでデジタルコンテンツにおける危険負担の考え方を、秋元通信流に考えます。
危険負担とは、民法等の契約法において「当事者双方の責めに帰することができない事由によって、目的物が滅失・損傷し、履行が不能となった場合に、そのリスク(対価を得られない不利益など)をどちらが負担するか」を定めたルールです。
一般的な売買契約(実物資産)の場合、法改正後の日本の民法(第567条)などでは、「目的物の引渡し」をもって危険が買主(受領側)に移転するのが原則とされています。
つまり、引渡し前に不可抗力で商品が滅失した場合は売主がリスクを負い(代金を請求できない)、引渡し後に滅失した場合は買主がリスクを負う(代金を支払わなければならない)ことになります。
物理的な商品(車や建物など。≒実物資産)の場合、危険負担の対象は「物理的破壊」や「紛失」です。しかし、デジタル・プロダクトや知的財産においては、以下の点が大きく異なります。
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「価値の暴落」が損害の本質となること
ストレージ機器(ハードディスク等)自体の価格は数万円程度であっても、そこに格納された未公開データが流出・海賊版化するリスクに晒されることで、数百億円規模の商業価値が一瞬で消失する可能性があります。
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コピー(複製)による不可逆性
物理的なモノであれば、盗難品を取り戻すことで実害の発生を回避できることもあります。しかし、デジタルコンテンツの場合は盗難された時点で、第三者に複製された可能性があります。したがって、ストレージ等の物理的な媒体を回収できても価値の毀損(不可逆的な損害)が回復しません。
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「引渡し」の境界線の曖昧さ
正式な契約締結前の「試写・検証(検収)」目的でデータを一時的に手渡した場合、それが法的意味での「危険の移転を伴う引渡し」にあたるのか、単なる「寄託(預かり)」や「検収前の提示」にとどまるのかの解釈が分かれやすくなります。
今回の事件では、当事者間で以下の3つのポイントが激しく対立しています。
これはあらゆるデジタルプロダクト取引に共通する論点であり、注目に値します。
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受領と保管体制に関する主張
原告(制作側)は、「オフィスにデータを保管した以上、受領側(Netflix)には厳重な管理義務・注意義務があった」と主張しています。
対して受領側(Netflix)は、「正式契約前の一時的な持ち込みにすぎず、権利自体を取得・購入したわけではない」と主張しています。
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データ自体のセキュリティに関する主張
原告が「盗難防止対策を講じるべきオフィス環境で放置されたことが盗難の原因である」とする一方、被告側は「渡されたマスターデータが未暗号化であり、業界標準の保護策が講じられていなかった」と反論し、制作側の落ち度を指摘しています。
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損害の性質に関する主張
原告は「海賊版流出の懸念が生じたことで配給権の販売が不可能となり、作品全体の価値が滅失した」として多額の賠償を求めています。
しかし被告側は、「実際に海賊版が流出した事実は確認されておらず、過剰な損害請求である」と主張し、真っ向から対立しています。
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ポイント1:危険の移転時期(いつリスクが移るのか)
契約書で危険負担が移転する時期が明確に定められていない場合、「試行・検収のためにデータを渡した瞬間」に危険が受領側に移るのかが問題となります。以降、あくまで日本の民法をもとに考えていきます。
民法における標準的な考え方では、検収完了前の段階では危険は引渡し側(制作側)にとどまると考えるべきでしょう。
ただし、受領側に保管上の不備(過失)があれば、危険負担の問題ではなく「保管義務違反(債務不履行)」や「不法行為」に基づく損害賠償責任が発生します。
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ポイント2:過失の相殺(受領側と提供側の落ち度)
デジタル・プロダクトの紛失・流出事故では、双方に落ち度が存在することが少なくありません。まず、提供側(制作側)の落ち度を考えます。
今回のケースでは、極めて重要なデータであるにもかかわらず未暗号化のまま渡したという過失が考えられます。そもそも、マスターデータを渡す必要があったのでしょうか?
記事では、「制作側はNetflixが配給権の取得に関心を示したことを受け、マスターコピーを収めたストレージをロサンゼルスにあるNetflixのオフィスへ直接届けた」という趣旨の報道があります。「関心を示した」段階で、公開前の映画をすべて示すというのは…、映画業界というのは、こういった慣習があるのでしょうか?
次に、受領側としては、「オフィスの防犯体制」「データのアクセス権限に対する管理方法」「そもそも物理的ストレージを放置していたのか?」といった落ち度が考え得られます。
今回のケースでは、このように双方にセキュリティ上の落ち度がありました。今後の裁判の行方としては、過失相殺(双方の責任割合に応じた損害額の減額)が大きな争点となるでしょう。
ハッキング、ウイルス感染、ストレージ盗難、誤送信など、デジタルコンテンツの授受プロセスには常に価値低下リスクが潜んでいます。
一般論として、こうしたリスクを防ぎ、万が一の際の紛争を避けるための実務対策を考えましょう。
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契約書に「危険の移転時期」と「責任上限」を明記すること
「データの送信時」「受領通知時」「検収完了時」のいずれで危険(滅失・損傷リスク)が移転するかを明確に定義すべきです。また損害賠償額の上限設定も大切なポイントです。
軽微な過失によるデータ紛失等に対し、極端に巨額な賠償が発生しないよう、契約書で損害賠償上限(取引額と同等など)を定め、「ただし、重大な過失や秘密保持義務違反の場合は上限の対象外とする」といった契約書上の設計が極めて重要です。 -
技術的保護措置の義務化(特約化)
強制的な暗号化: パスワード保護や高度な暗号化が施されていないデータは「受領を拒否する」「物理的な手渡しを認めない」といったセキュリティガイドラインを契約条件に盛り込むことも有効でしょう。さらに、 万が一流出した際に備え、流出元を特定できるようウォーターマーク(電子透かし)の挿入を義務付けることも検討すべきです。
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授受プロセスのデジタル化と非物理化
盗難・紛失リスクの高いハードディスクやUSBメモリなどの物理媒体による受け渡しを避け、暗号化通信やセキュアなクラウド共有ストレージを利用することも検討すべきです。共有ストレージサービスを利用することで、アクセス権限と「誰がいつデータにアクセスし、ダウンロードしたのか?」といったログを管理することが可能になります。
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検討・検収段階では、マスターデータを渡さない
前述のとおり、「そもそもなぜ検討段階でマスターデータを渡したのか?」という疑問は当然でしょう。開発中コンテンツや評価段階のコンテンツの場合、「マスターデータ(原本)」そのものを相手方に渡さないことが鉄則です。
ストリーミング閲覧のみ可能な限定環境の提供や、解像度を下げた評価用データの利用に限定することで、盗難・漏洩時の損失を最小限に抑えられます。
筆者はシステム開発会社に勤めていたことがありますが、契約リテラシーを欠いたエンジニアやデザイナーなどが性善説にのっとり、検収完了前に成果物をほぼそのままクライアント側に渡してしまうケースを、たびたび見てきました。
今回のプロデューサーも、きっとこういった危険負担に関する契約関係知識が足りない人だったのではないでしょうか。
本記事で述べたような契約面、セキュリティ面での対策も重要ですが、この手の話については、まずは従業員教育ありきであることは、最後に述べておきましょう。






