奥山浩
「僕が仕事で経験したことで、無駄なことなんてひとつもなかった」

奥山浩
1998年入社

入社時は、倉庫に配属。その後、事務所勤務となり
デリバリーを担当。10年前より配車マンとして活躍中。

秋元運輸倉庫において、最年少で主任、係長(現職)に就任している。

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入社した当時の話を聞かせてください

入社して5年ほどは、芝浦本社と同じ敷地内にある1号倉庫で、倉庫のオペレーションをやっていました。
当時は今ほど倉庫作業員がいなくて、内航船が入ると、僕以外の全員が内航船からの荷役作業に出払ってしまいまして。仕方ないので、ひとりで残された仕事、出荷から何から全部やるようになっていました。

入社して間もないのに、すごいですね!?

理不尽ですよね(笑

(「お前が仕事できすぎたんだよな!」という、インタビューに同席した上長からのツッコミあり)
そんなことないですよ!
でも、数年すると周りとの人間関係に悩み始めたのは確かですね。仕事に対するモチベーションを保つのが難しくなってきたというか。

そんな気持ちを先輩に相談したところ、事務所内勤に転属になりました。

内勤に変わって、担当した仕事は?

デリバリー担当です。
ある荷主様の出荷全般をオペレーションする役目ですね。

荷主様から出荷依頼を受けると、僕の方で出荷指示を倉庫に出すんですが、当時まだ珍しかったロットナンバー管理を行わなくちゃいけなくて。出荷する荷物の指示と、ロットナンバーと、いろいろな情報を倉庫と荷主様の間に立ってやりとりする必要があるので、かなり煩雑な業務でした。

最初のうちは、先輩たちから教えてもらった仕事のやり方でやっていましたが、しばらくやっていると、もっと効率のよい仕事のやり方が見えてきました。そこで自分なりに業務改善を進めていったんです。

配車マンになったきっかけ
当時配車マンだった方が、急死されたことがきっかけです。
配車を分かる人間が誰もいなくて、もちろん僕も配車なんてまったくやったことがなかったんですけど。

誰にも教わることができない状況で、配車マンを任されることになったので…
配車マンと言えば、運送会社の顔ですからね。最初のうちは本当に大変でした。

それでもなんとかこなせたのは、ひとつは倉庫の経験があったからです。
倉庫にいた時から、荷物を見て、「たぶん、この荷物だったら、こういう配車をしてくるだろうな」と想像をしながら出荷の準備などを進める習慣がついていて、間接的にではありますけど、配車には触れていたことになりますね。

もうひとつは、周り、特にドライバーさんたちの協力があったからですね。
新米配車マンに、たぶん文句のひとつふたつみっつよっつ・・・(笑)、言いたいことはあったでしょうけど、皆、事情を察して頑張って僕のことを支えてくれたから。
ドライバーさんたちの支えがなかったら、僕、潰れていたかもしれませんね。

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仕事に対する不安と自信
配車マンである自分に対しては、今も自信はないですよ。
ただ、自分が組んだ配車に対しては、責任をもってやっています。

でも、ここ数年、社内やお客様などから、荷物の手配や配送案件の相談を持ちかけられるようになってきたので、ようやく配車マンとして認められてきたのかな、とは感じています。

倉庫とか運送の仕事って、ものすごくやらなきゃいけないことが多くて、ほとんどの人が仕事のボリュームに負けて埋没しちゃうんですね。でも、冷静に眺めてみると、意外と効率化できるところもたくさんあって、そういうことをつぶさに観察して考えていたことが、すべて後の仕事につながっています。

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僕が仕事で経験したことで、無駄なことなんてひとつもなかった。
そう考えると、物流って奥の深い仕事だなと、つくづく感じます。

就職活動中の皆さんへのメッセージをください

物流って、ずっと社会の裏方的なイメージが強かったと思います。
でも最近、物流関連のニュースが取り上げられることも多いですよね。物流ビジネスが大きく注目される時代がきています。

秋元運輸倉庫は、2020年に東京オリンピックの主会場となる東京湾岸地区に複数の拠点を構えています。
また、弊社だったら、倉庫だけでもない、配送だけでもない、物流全般に大きく関わることができることも魅力だと思います。

健康で明るくて、チームワークを重視できる人、ぜひ一緒に働きましょう!

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