秋元通信

2018年 年頭所感(秋元社長)

  • 2018.1.18

以下の年頭所感は当社社員にむけて発信したものですが、秋元その人らしさがあらわれた文章であることから、あえてそのまま掲載しています。

 
 

代表取締役社長 秋元伸介

代表取締役社長 秋元伸介


新年明けましておめでとうございます。
創業100年という節目に社長に就任いたしました秋元伸介です。
 
この100年、先人達はどれだけの困難に立ち向かったことでしょうか。世界恐慌や第二次世界大戦などの苦境を乗り越えた先人達の努力と、前任の荒牧社長の苦心惨憺によって継続された会社を引き継ぐのは、身の引き締まる思いです。
 
社員の皆様には、「一生 ”懸” 命」ではなく「一生 ”” 明」という言葉を心に留めていただきたい。
周りが見えないくらい必死になる「懸命」ではなく、物事の判断を適切に行う「賢明」を心がけて欲しい。
右から左へと言われたとおりにものを動かすのではなく、「なぜこうするのか?」、「もっとこうすればいいのではないか?」と、考えながら仕事に取り組んでいきましょう。
 
さて、何かと話題の多いオリンピックも近づいてきましたので、オリンピックに関するエピソードをご紹介します。
初めて日本がオリンピックに参加した1912年のストックホルム大会において入場行進のプラカードには、「NIPPON」と書かれていたそうです。現在の「JAPAN」は次の大会からになります。最初はいろいろありますね。
 
マラソンに出場した金栗四三選手は猛暑のため途中で倒れ近くの農家で介抱されました。目を覚ましたのが翌朝だったため、金栗はそのまま帰国したのですが、オリンピック委員会に棄権の意志が伝わっていなかったため、失踪、行方不明扱いになりました。
 
1967年、ストックホルムオリンピック開催55周年式典に向けて過去の記録を整理したところ、本人から棄権の意思が確認されていない以上、現在も競技中であると見なされました。式典に招待された金栗は、記録「54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3」でゴールしたと記録されました。
 
正月の箱根駅伝を楽しみにされている方も多いと思いますが、箱根駅伝をつくった人こそ、「マラソンの父」と呼ばれた金栗四三その人です。
 
今年度より、新体制でこれからの100年に向けて精励恪勤してまいりますので、よろしくお願いいたします。
 
ご安全に。
 
 


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