秋元通信

最近話題の「つながらない権利」を解説

  • 2024.4.18

「つながらない権利」とは、労働者が勤務時間外や休日に、仕事上のメールや電話などへの対応を拒否できる権利です。「完全ログオフ権」と呼ばれるケースもあります。
 
近年、携帯電話はもちろん、メール、チャット、SNSなどの、コミュニケーション・テクノロジーの発展により、仕事とプライベートの境界線が曖昧になり、長時間労働やストレス、精神疾患などの問題が深刻化しています。
こうした状況を受け、労働者の心身の健康を守るために、つながらない権利が注目されているわけです。
 
つながらない権利は、2016年にフランスで労働法が改正された際に初めて法制化されました。その後、イタリア、スペイン、ポルトガルなどの欧州諸国や韓国などで同様の法整備が進んでいます。
 

  • フランス
    従業員50人以上の企業は、従業員が勤務時間外のメールなどを遮断する権利を有することを定款に明記することを義務付け。
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  • イタリア
    午後10時から午前6時までの間の業務連絡を禁止。
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  • スペイン
    週35時間以上の労働者には、就業時間外のメールチェックをしない権利を付与。
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  • ポルトガル
    企業が就業時間外の従業員に連絡することを原則として禁じ、違反企業には売上高に応じて罰金を科す。

 
 
 

「つながらない権利」の課題

 
まず考えられるのは、緊急時における対応です。
 
例えば、システム会社において、利用者の業務遂行において重大な支障が生じるようなバグが発生したとします。夜間や休日に出勤する保守要員だけでは対応ができず、
 

  • プログラマーに連絡して、対応方法を教えてもらう。
  • 営業に連絡して、顧客対応方針を教えてもらう(あるいは、「してもらう」)。
  • 広報に連絡して、会社のWebサイトなどに障害発生の告知を行ってもらう。

 
こういったケースはありうるでしょう。
 
緊急時のみならず、例えば有給をとった社員に対し、「ちょっとココのやり方がわからないんだよ…」「あれ、お客さまの◯◯さんへの携帯電話番号が分からないや」と連絡してしまうケースもあるでしょう。
また、営業などが顧客に対し携帯電話番号を明かしており、有給取得時や時間外であっても、顧客から連絡が入れば対応せざるを得ないというケースもあるでしょう。
 
教科書的な言い方をすれば、こういった課題は業務の属人化に起因し、業務の標準化ができていないことが原因です。
極論、すべての業務がマニュアル化されており、そのマニュアルを見れば、社内の誰もが、顧客対応から非常時の対応まで、あらゆることをできるようになれば、時間外や休暇取得時に、その社員に連絡する必要はありません。
 
しかし、すべての業務を標準化することなど不可能ですから…
 
別の課題もあります。
 
さまざまな形態の労働が存在する今。
例えば、テレワーク、フレックスタイム制、シフト制など、従来の定時労働とは異なる働き方がある中で、「つながらない権利」の適用範囲や具体的なルールを定めることが難しくなっているというのも課題です。
 
 
 

つながらない権利はなんのため?

 
PHSが1995年にサービス開始されたあたりから、携帯電話は急速に世間へと普及し始めました。
確か1998年頃だと記憶しているのですが、当時、ある一部上場企業の役員だった方から、こんな質問を受けたことがありました。
 

「会社は、携帯電話をすべての営業社員に持たせることを検討しているのだが…。これって彼ら彼女らに対し、ものすごく大きな負担になるのではないかね?」

 
件の役員は、大阪から東京へ部下とともに出張した際に衝撃を受けたそうです。
 

「とにかく席にいないんだよ。ひっきりなしに電話がかかってくるもんだから、ずっとデッキで電話し続けているんだ」

 
この部下は、個人で携帯電話を所有していたそうです。
にも関わらず、こんな状態なわけですから…
 

「会社で携帯を持たせたら、それこそ夜も朝も、あるいは休日も関係なく、電話応対に追われ続けるんじゃないかと」

 
 
同じ頃、筆者は、携帯電話代理店に勤務していました。
筆者が所属していたのは、量販店に対し携帯電話を卸す商社機能の部署でした。
 
筆者は当時、家電量販店やら、終夜営業をしているディスカウントストアやらを担当していましたが、深夜早朝、あるいは休日や盆・正月も関係なく、携帯電話に連絡が入り続ける生活を送っていました。
筆者の担当していた量販店では、約50名の販売応援員を導入しており、筆者は一日に3回、販売応援員からの業務連絡を受けていました。つまり、最低でも1日150本の電話を受けるわけです。
 
当然、一台の携帯電話ではバッテリーが持たず、複数台の携帯電話を持ち歩くのが日常でした。
正月に妻の実家に帰省したときにも電話応対を続ける筆者を見て、義両親が嫌な顔をしていたことを、今でも覚えています。
 
当時は、「仕事なんだから仕方ないだろう!」と開き直っていた筆者ですが、ある意味、仕事であり会社に洗脳されていたんでしょうね。
先の上場企業役員が抱いた懸念以上の状況が、今やコミュニケーションツールの発展によって実現しています。
 
今や社内外のコミュニケーションは、電話(通話)だけではなく、メール、チャットツール、あるいはSNSなど多岐に広がっています。
スマートフォンの普及により、こういったコミュニケーションツールによる通知は、24時間365日、常に私たちに届くようになりました。
 
仕事とプライベートの境界が曖昧になった結果、健全なプライベートを保つことができず、不安を感じたり、あるいは精神的に病んでしまう人が増え始めているのです。
 
 
 

「つながる権利」を乱用する上司や顧客

 
今回、「つながらない権利」に関して調べていて気がついたことがあります。
「つながらない権利」を侵害する行為、すなわち昼夜区別なく仕事の連絡をしてしまう人たちの中には、悪意なく行っているケースも少なくないということです。
 
ある有名雑誌の元編集長は、TVのニュース番組にコメンテーターとして出演した際に、「私も編集長時代、アイデアが思い浮かぶと、夜でも休日でも関係なく、編集部員にメールやチャットで連絡をしてしまっていた」と振り返っています。
 
ある報道では、「上司から、金曜の夜に『月曜日朝までに資料を作っておいて』と言われることが度々あり辛かった」という声が紹介されていました。
 
こういった行為には、「仕事を部下に押し付ける」という側面もあるのでしょうが、きっとそれなりに仕事熱心な上司なのでしょう。
 
 
同じようなことは顧客との間でも発生します。
 
以前面談をしたある運送会社の社長は、筆者と共通の知人について、「◯◯さんは、何時にチャットを送っても、すぐにブレストし返事をくれる。優れた人物だ!」と評したことがありました。
こういうことを言われると、筆者もこの社長との連絡については即応性を意識せざるを得ません。しなければ、仕事を失うかもしれませんから。
 
ビジネス上のエコシステム(生態系)において、上位に位置する人が、電話・メール・チャット・SNSなどのコミュニケーションツールを用い、昼夜や休日の区別なく連絡を行い、あるいはレスポンスを求めれば、下位の人々は応答せざるを得ません。
「応答しないこと」によって、エコシステムの中で上位に位置するチャンスを逃し、下位に転落する可能性があるからです。
 
コミュニケーション・テクノロジーの進化・発展を享受する仕事熱心な方々の中には、残念ながら「つながる権利」を乱用し、周囲の人々を不幸にしてしまうケースもあるのです。
 
 
 

大切なのは、「つながらない権利」を尊重すること

 
「つながらない権利」を考えるうえで、緊急時の連絡を盾に「つながらない権利」のデメリットを訴えるのは、ナンセンスだと筆者は考えます。
例えば筆者自身、顧客のWebサイトが大陸方面からの攻撃を受け、サーバがダウンしかけていることに気がついたときには、深夜にも関わらず、迷わず同僚であるサーバ管理者に電話をかけ、ネットワーク遮断を依頼しました。
 
ネットワーク遮断の方法を筆者自身が身に付けていれば、同僚を深夜に叩き起こす必要はなかったのですが、当時営業職であった筆者がネットワーク遮断のスキルを身に付けることは現実的ではありません。またセキュリティ上のリスクを考えると、社内でサーバ管理者以外にネットワーク遮断のノウハウを共有することは、とても問題が大きいです。
 
極論ですが、大災害が発生した深夜に、従業員の安否確認を行い、また事業継続のための緊急措置を講じることは、「つながらない権利」の侵害になるのでしょうか?
筆者は「ならない」と考えます。
 
 
問題なのは、「つながらない権利」を尊重しない人や行動です。
例えば、上司や顧客など、エコシステムの上位に位置する方々は、間違っても勤務時間外に労働を促す行為をさせてはならず、あるいは勤務時間外に労働する方々を礼賛するような発言をしてはなりません。
前述のように、「悪意なく、仕事熱心なゆえに行った行為(あるいは発言)」であったとしても、容認されてはならないのです。
 
まずはすべての人が、「つながらない権利」について知識を持ち、尊重することが、「つながらない権利」に関係する課題を解決するための第一歩であり、最重要事項でしょう。
 
一部の先進的な企業では、「19時から8時までの間にメールサーバを遮断する」「時間外にメールやチャットの送信をした人を監視するチェックツールを導入する」などの措置を取っているようですが。
こういった硬直的かつ物理的な措置を取っている企業は、いざ緊急事態に遭遇した時、どうするんでしょうね??
 
 
「つながらない権利」に関する法規制は、おそらく日本でもいずれ導入されることでしょう。
ただし、「つながらない権利」が求める精神を理解せず、見かけ上のルール設定をしてしまうと、ときに企業の存続を危うくする可能性もあります。
 
このあたりの線引きは難しいです。
 
 
例えばセクハラやらパワハラについては、今や広く認知され、「それってセクハラですよ!」と冗談めかして、しかし本音をこめて発言することができるような風潮が広まっています(もちろん、なんの躊躇もなく「それってセクハラですよ!」と発言できるわけではありませんが)。
「つながらない権利」についても同様です。
例えば上司から21時に届いたメールに反応をしなかったことを咎められたときに、「『つながらない権利』ってご存知ですか?」と嫌味を言い、そしてこういった行為が(当人である上司の反感は買うかもしれませんが)周囲から支持されるような文化・風潮が醸成されることが理想ではないでしょうか。
 
 
 


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