「今はね、全社員の顔と名前、そして性格をしっかりとつかめているという自負があるんだ。俺も皆を下の名前で呼び、そういった関係を、みんなも認めてくれているし。
でもこの先の事業拡大を考えると、今年度中には最低今の2倍以上、できれば3倍近くまで従業員を増やさないといけない。
そうなったときに、俺は社長として、今の関係性を全社員と構築する自信はないんだよ…」
この社長(以下、A社長とします)の会社は、この発言の時点で約80名でした。
事業拡大のため、同社は、同年度中に組織規模を最低180名以上、できれば250人以上に拡大する予定です。
A社長は、優れたビジネスセンスを備えた人物です。
実際、取材時に聞いた、彼の語るビジネスモデルは、とても説得力のあるものでした。ところが、こと「人の部分」、組織運用となると不安を抱えていたのです。
「ダンバー数(Dunbar’s number)とは、人間が安定的な社会関係を維持できるとされる人数の認知的な上限である。ここでいう関係とは、ある個人が、各人のことを知っていて、さらに、各人がお互いにどのような関係にあるのかをも知っている、というものを指す」
出典:Wikipedia
ダンバー数は、イギリスの人類学者であるロビン・ダンバーが発表した概念です。
ロビン氏の専門は霊長類の行動研究です。研究の結果、ロビン氏は、霊長類の脳の大きさと群れの大きさ(平均)に相関関係があることに気が付きました。
その結果、ロビン氏は、人間が円滑かつ安定して維持できる人数は150人程度であるとしました。
「もしあなたがバーで偶然出会って、その場で突然一緒に酒を飲むことになったとしても、気まずさを感じないような人たちのことだ」──ロビン氏は、ダンバー数が言うところの「150人」について、このように噛み砕いて説明しています。
また150人という数字についても、厳密には100人から250人の間であると考えられているそうです。
ちなみにダンバー数には、交流が途絶えた知人は含まれません。
つまり、「バーで偶然出会って、その場で突然一緒に酒を飲むことになったとしても、気まずさを感じないような人」で、かつ「現在進行形で親交のある人」がダンバー数のカウント対象であり、「仲良しだった高校時代の友人」はダンバー数には含まれません。
童謡「1年生になったら」の歌詞には、「1年生になったら、友だち100人できるかな」というくだりがありますが。
親しく、そして継続的に親交のある人の数に限界があるというのは、直感的に理解できます。まだ未成熟な小学1年生でなくとも、「友だち100人」というのは、現実的には難しいこともあるでしょう。
筆者は仕事柄、さまざまなスタートアップ企業を取材してきました。
そして筆者自身もかつてはベンチャー企業で働いていました。
その経験から、ビジネス拡大の過程で、組織の拡大・拡充に問題を抱えてしまうスタートアップって、意外と多いです。
- 人が定着せず(=退職率が高く)、組織拡大に問題を抱えるケース
- 人が増えるにつれて、急に生産性やビジネス遂行に問題が生じるケース
スタートアップ企業・ベンチャー企業って、従業員が、創業者のカリスマ性に心酔しているケースが間々あります。特に、古いメンバーほど、創業者のカリスマ性に惹かれ、あるいは創業者と同じマインドを持っているケースが多いです。
創業し、ビジネスがスタートした黎明期は、それでも…、というか、むしろ創業者のカリスマ性に経営やビジネスが牽引されていることは望ましいことです。そういった道標、あるいは灯台のような支えがないと、創業時の苦労を乗り越えるのは難しいこともありますから。
厄介なのは、ビジネスがある程度安定し、従業員が増えてきた頃です。
ビジネス・経営が安定し、組織も大きくなってくるといろいろな人が集まってきます。中には、それほど創業者に心酔していなかったり、シンパシーを感じていない人も、会社に加わってきます。
これまた当たり前で、創業期のドタバタを乗り越えたスタートアップ企業に就職しようという人は、ビジネスの内容に惹かれてくるからです。社長の人柄や考え方は、二の次三の次になります。
となると、入社し、職務そのものは積極的・精力的に行うものの、「ウチの社長、面倒くさくてねぇ…」と言ってはばからない社員も現れてきます。
人が増えてきて、「なんか最近、新メンバーたちとの距離感を感じるなぁ」と感じ始めたスタートアップ企業社長のやることは、だいたい同じです。
- 社長主催の飲み会を開催する。
- 1on1の面談を行う。
- 研修旅行と称した社員旅行を企画する。
野球チームなどを組む方もいますね。
要は、新たに入社したメンバーとの交流機会を増やしたがるわけです。
こういった行動を間違いとも、あるいは愚かな試みとは思いません。むしろ、こういった取り組みは積極的に行うべきでしょう。
一方で、組織の拡大フェーズに合わせて、マネジメント方法を見直していくことも必須です。
そこで参考になるのが、「グレイナーの企業成長モデル」(あるいは、「グレイナーの5段階企業成長モデル」)です。
- 第一段階:創造性による成長 と リーダーシップ(統率)の危機
→ 3~50人程度の組織 - 第二段階:指揮による成長 と 自主の危機
→ 50~100人程度の組織 - 第三段階:委譲による成長 と 統制の危機
→ 100~300人程度の組織 - 第四段階:調整による成長 と 形式偏重主義の危機
→ 300~1000人程度の組織 - 第五段階:協働による成長 と 新たな危機
→ 1000人以上の組織
「グレイナーの企業成長モデル」は、企業が成長・拡大していく過程において発生する課題を指摘し、その解決策を示しています。企業が持続的に成長・拡大していくためのノウハウをまとめている、と言ったほうが分かりやすいかもしれません。
それぞれについて、ごくかんたんに説明しましょう。
- 第一段階:創造性による成長 と リーダーシップ(統率)の危機
創業者のカリスマ性によって組織がドライブしている状態。
(組織拡大の障害)
生産性や品質を管理するため、リーダーシップが求められるようになり「統率の危機」を迎える。 - 第二段階:指揮による成長 と 自主の危機
ルールや仕組みを設けることが必要となる。
(組織拡大のボトルネック)
組織が大きくなることによって、例えば現場の状況把握を創業者が十分に行うことが難しくなり、「自主の危機」が生じる。 - 第三段階:委譲による成長 と 統制の危機
各組織にマネージャーを設けることで、創業者を筆頭とする経営陣から権限委譲を進めていく。
(組織拡大のボトルネック)
権限委譲が進んだ結果、部門内での個別最適化をことさら重視するようなサイロ化が進み、「統制の危機」が生じる。 - 第四段階:調整による成長 と 形式偏重主義の危機
各部門のマネージャー同士が調整を図ることで、組織が成長・拡大していく。
(組織拡大のボトルネック)
組織運営のための仕組みやルールが増えることによって、事業遂行などの本来の目的よりも、仕組み・ルールの遵守そのものが目的化してしまう、形式偏重主義が生じる。 - 第五段階:協働による成長 と 新たな危機
形式化した仕組み・ルールを遵守する「形式偏重主義」の反省を踏まえ、人同士、あるいは組織同士の協力の必要性が再認識され、自発性が重視されるようになる。
(組織拡大のボトルネック)
従業員個人への負荷が高まり、疲弊してしまう。
Apple創業者であり、絶大なカリスマ性を備えたスティーブ・ジョブスでさえ、一度はAppleを追い出されたわけですから。
優れたビジネスセンスを備え、革新的なビジネスモデルを生み出せる人が、同時に社長としても優れているかどうかは、まったく別物です。むしろ、両方に長けた人など稀有な存在でしょう。
だから、会社を成長させようとしたら、創業者が身を引くことも大切です。
さらに言えば、「グレイナーの企業成長モデル」に学び、それぞれのフェーズに適した人材を経営陣に登用することも必要でしょう。
しかし、これもまた難しいですね。
そもそも、絶対権力者である創業者が、自分自身が組織成長のボトルネックになっていることを自覚し、身を引く決断をできるかどうかという問題もあります。
ファーストリテイリング(ユニクロ・GU)創業者の柳井氏のように、いったんは社長から身を引いたものの、再び社長に戻った例もありますし…。
あくまで一般論ではありますが、人は自分自身の成功体験に固執しがちです。
裸一貫で立ち上げ、組織を50人まで拡大できた社長は、そこまでの成功体験で得たメソッドが、従業員が100人200人と増えても通用すると考えがちです。
同様に、自身のカリスマ性に自信がある社長の中には、組織が100人200人、あるいは1000人まで増えても、自身のカリスマ性が通用すると考えてしまう人もいるでしょう。
先のA社長のように、組織の拡大期において、それぞれ必要となるマネジメント手法などが異なることを理解している社長の方が、世の中には少ないのかもしれません。