秋元通信

広告記事にも執筆者の主観が求められる背景

  • 2021.9.13

間もなくiPhone13のリリースが発表されると、巷では話題になっています。
iPhone13には、ディスプレイ指紋認証機能が実装されると予想されています。
 
iPhone13に興味がある方は、Appleが発表会を行った直後から、次々とリリースされるレビュー記事をチェックすることでしょう。
 
ここで、少し思考実験をしてみましょう。
本当に、iPhone13にディスプレイ指紋認証が実装されるとします。
 

  1. 「iPhone13には、ディスプレイ指紋認証が搭載されている」
  2. 「新型コロナウイルスによって、マスクを着用することが日常となった今、顔認証機能は使いにくくなった。だからこそ、iPhone13がディスプレイ指紋認証機能を備えて登場することには意味がある」

 
あなたが読んだ、ふたつのレビュー記事では、1.と2.、それぞれ別の書き方で、iPhone13のディスプレイ指紋認証が説明されていたとします。
 
あなたに、より響くレビューはどちらですか?
 
 

求められるのは、事実だけ? それとも執筆者の主観も必要?

 
1.のレビューは、事実だけしか書かれていません。
対して、2.のレビューは、執筆者の主観が含まれています。
「マスクを着用することが日常となった」ことは事実ですが、「iPhone13がディスプレイ指紋認証機能を備えて登場することには意味がある」は、執筆者の主観です。また、「顔認証機能は使いにくくなった」は一見事実を述べているようですが、前提条件として「顔認証機能を皆さん、使っていますよね」「顔認証機能は必要な機能ですよね」という、執筆者の主観が含まれています。
 
iPhoneに限らず、また有形無形を問わず、さまざまな製品、サービスに対するレビュー記事が、世の中にはあふれています。
食べログ、Googleローカルガイドなどは、執筆者の主観レビューの集合体です。
 
そして昨今では、プロライターが書いたであろう、広告記事にも、ライター本人の主観が加えられることが普通になってきています。
 
 

広告記事にも、執筆者の主観が求められる

 
現在、私はメルマガ『秋元通信』以外にも、複数のWebメディア、企業のオウンドメディアで執筆をしています。
 
執筆する記事の中には、広告記事もあります。
広告記事の目的は、広告主である企業の宣伝や、サービス、製品などを紹介することです。
広告記事って、執筆者の感想や主観などを入れず、純粋にレビューや広告宣伝を意識すべきものであるというイメージがありませんか。
 
ところが、私のもとに依頼がある広告記事の場合、ほぼ100%、私の主観を入れて欲しいと言われます。もしかすると、「癖の強いこいつに、主観抜きの記事など無理だろう」と思われている可能性も無きにあらずですが。
いずれにせよ、執筆者の主観を入れた広告記事に、ニーズがあることは事実です。
 
 
ではなぜ、広告記事に主観が求められるのでしょうか?
 
ひとつは、「広告記事なんだけど、ミエミエの広告記事にはして欲しくない」という、広告主側の意向があります。私が執筆する広告記事では、ときに広告主の製品やサービスを批判することすらあります。もちろん、批判といっても、程度の問題はありますが。
 
読者から診れば、第三者(=執筆者)の主観があり、またその主観が信頼や共感に足る内容であれば、記事の内容全般を信頼することができます。広告主にとっては、結果的にメリットにつながるわけです。
 
もうひとつ、執筆者の主観は、読者に対し、考えるきっかけを与える触媒としての効果があると、私は考えています。
 
 

読者に「所有した自分」を想像させる、執筆者の主観が与える効果

 
初歩的な営業手法のひとつに、購入(契約)を迷うお客さまに対し、「買うか買わないか?」の選択ではなく、「どのように所有するのか?」、つまり購入を前提に、購入した後の自分の未来像を選択する方向へと、選択のポイントを切り替える話法があります。
 
例えば、クルマを購入するかどうか、迷っているお客さまがいるとします。
 

「青と赤、好きな色はどちらですか? →(青です) ではクルマの色も青の方がいいですね」
 
「 週末は友達大勢と遊ぶタイプですか? →(はいそうです) でしたらクルマも普通のセダンタイプではなく大人数が乗れる SUVの方がよろしいですね」
 
「 クルマの主な利用目的はプライベートですか、それとも仕事ですか? →(仕事です)でしたら燃費の良いハイブリッドカーがいいですね」

 
広告記事における執筆者の主観は、この手の営業話法同様、「もし自分が所有したらどうなるのか?(どうするのか?)」という想像を促す効果が見込まれます。
 
iPhone13のディスプレイ指紋認証の例に戻りましょう。
 
「新型コロナウイルスによって、マスクを着用することが日常となった今、顔認証機能は使いにくくなった。だからこそ、iPhone13がディスプレイ指紋認証機能を備えて登場することには意味がある」
 
読者は、この一文を読んで、どのように感じるでしょうか?
 

  • なるほど、確かに便利そうだ。
  • 逆に言えば、コロナが終息すれば、ディスプレイ指紋認証機能はいらないってこと?
  • いや、パスコード認証(もしくはパターン認証)があれば、ディスプレイ指紋認証はいらないかな。
  • そもそも顔認証って何?(自分、遅れてる??)

 
否定感情にせよ、肯定感情にせよ、読者に対し、自らが利用するシーンを想定させ、何かしらの感情、考えを想起を促す効果を、執筆者の主観が導くのです。
 
 

「伝わる文章」の前に、まず必要なこと

 
世間では、「伝わる文章」の書き方などといったメソッドがたくさんあふれています。
私も、プロライターとして活動を開始した当初は、記事の趣意(例えば、キーワード解説記事の場合は、解説内容)や自らの考えを読者の皆さまに、正確に、そしてもらさず伝えることを意識してライティングをしていました。
 
しかし、最近では、この考え方は少し違うのではないかと感じています。
 
理由のひとつは、正確に伝えようと意識すればするほど、言葉をたくさん並べ、文章が分かりにくくなり、結果的に伝わりにくい文章になりがちだからです。
 
もうひとつの理由は、正確に伝えることよりも、読者の皆さまに、ご自身なりの何かを感じ取ってもらうほうが大切だと、あるとき気が付いたからです。
 
正確に伝えようという思いは、すなわち読者の皆さまにおける、読後の感想をコントロールしようとする試みです。
そんなことは必要ありませんし、おこがましい考え方でしょう。
 
例えば、ある文章において、私は「**は青である」という主張をしたとします。しかし、読者の皆さまが、読後に「**は赤だよね」「いや、**は黄色だろう」「そもそも、**に色を求めるのが間違っているんじゃないか?」と、それぞれの感想を持つのは自由ですし、むしろ望ましいことではないでしょうか。
 
書き手として、もっとも望ましくないのは、読者の皆さまが、「・・・・」状態、つまりなんの感想や考えを想起できないことです。
これは、結果的に、「伝わらない文章」ということなんですけどね。
 
 
テーマである、「広告記事にも執筆者の主観が求められる背景」から少し、話がずれてしまいました。
つまり、より読者の皆さまに響く記事とは、「読者の皆さまが、それぞれに自分なりの感想や意見、考えを持つことができる記事」のことであり、そのためには、執筆者の主観が触媒として必要になると、私は考えています。
 
 
ただし、求められる主観の塩梅は、まさに塩の加減に似ています。
塩が効き過ぎれば、読者は濃い塩の味に辟易するでしょう。
読者の皆さまに、豊かな発想を想起させるきっかけとなるような適度な塩味を効かせることが、記事に対して求められる、執筆者の主観のバランスだと、私は考えています。
 
以下、余談です。
本稿は、文章をフィールドに論じてきましたが。
これは、コミュニケーション全般に言えることではないでしょうか。
 
例えば、昭和の時代における社員教育は、「このようにあるべきです!」という絶対無二の教えを叩き込むことを是としていました。しかし、現在では自ら考えるチカラや、地頭の良さを伸ばす社員教育が求められます。
 
また、営業提案でも、「こうすれば万事OK!」といった、良くも悪くも隙がない提案よりも、売り手側の提案が、さらに買い手の発想を飛躍させるような、クリエイティビティに富んだ提案のほうが、好まれることも増えてきたように感じます。
 
 
広告記事の話から、ずいぶんと話が飛躍しました。
主観、すなわち自分の意見や考えを持つことの大切さって、情報が溢れている現代だからこそ、より重要性を増していると、私は考えています。
 
皆さまは、どう思いますか?


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