秋元通信

経営学と物理学の決定的な違い、経営学を実践するために必要なこと

  • 2022.10.11

以前、筆者はゴーストライターの仕事を、いくつか行っていました。対象は、Webではなく書籍です。
 
経営学をテーマとした本を執筆したときのことです。
監修に入ってくれた大学教授に、「経営学とはなんぞや」というお話を聞いたのですが。
 
「経営学って、『今よりも、もうちょっと良い何かを実現するための学問』なんですよ」と答えられました。
 
さすがに、戸惑いました。「いや、本にするんだから、もうちょっとそれらしい解説をくださいよ」と、そのときは感じたからです。
 
ところが、物理学や生物学など、自然科学系の学問と経営学を比較すると、この教授の解答、実はすごく経営学の特徴を捉えたものだと、後から気が付きました。
 
 
 

自然科学が目指すもの

 

「自然科学(しぜんかがく、(英: natural science〔ナチュラルサイエンス〕, science〔サイエンス〕)または理学とは、自然に属するもろもろの対象を取り扱い、その法則性を明らかにする学問。辞書的定義で自然科学は、狭義には自然現象の法則を探求する数学・物理学・天文学・化学・生物学・地球科学などを指し、広義にはそれらを実生活へ応用する工学・農学・医学なども指し得る」

(出典 Wikipedia 「自然科学」)

 
人間は、さまざまな自然現象や、身の回りの事象について、「これはなぜなんだろう?」「どうしてなんだろう?」と疑問を抱き、追求してきました。
 
「なぜ、太陽は東から昇り、西へ沈むのだろう?」
「なぜ、渡り鳥はとても遠い場所へと迷わずに向かえるのだろう?」
「なぜ、素数は存在するのだろう?」

 
自然科学における「なぜ?」が成立しうるのは、自然の中には理(ことわり)があることに所以します。なにかもがでたらめだったら、それは「○○というのはこういうものなのね」「□□というのはそういうものなんだ」という、1対1対応の事例の集合体にしかなりません。
 
宇宙には、宇宙を統べる理があって、その理が森羅万象を支配しています。
「自然科学とは、自然に属するもろもろの対象を取り扱い、その法則性を明らかにする学問」であるとWikipediaでは説明されています。そのとおりで、法則性、すなわち理を探究するのが自然科学なのです。
 
 
 

経営学が自然科学と根本的に異なる点

 
経営学は、自然科学とは根本的に異なります。
先人たちがあれやこれやと試行錯誤した過去の事例を研究し、「これってこうすると効率が一番良くないかな?」という学びを導き出すのが、経営学の基本です。
 
自然科学のように、人間の知恵が及ばない事象に対し、その理を探ろうと試行錯誤するのは、宇宙に理が存在するからできることです。その理の、理路整然とした美しさに対し、古代から宗教家、学者などの多く人が神の存在を感じてきたわけですけど…
 
対して、経営学には、神はいません。神と崇められる経営者はいますけどね。
経営を統べる理は存在しません。あるのは、先人たちの試行錯誤だけです。
 
そういう意味では、経営学は、とても泥臭い学問とも考えられます。
 
 
 

経営学やマーケティング理論、Web理論、あるいはサプライチェーン理論などを学ぶ上で注意すべきこと

 
秋元通信らしからぬ、神だの理だのという抽象的な言葉が登場して困惑した人もいるかも知れませんね。
ここからは、いつもの秋元通信に戻りますからご安心を。
 
先日、物流コンサルタントを志す若者と会話する機会がありました。彼がとても興味深いことを言っていました。
 
「ここ2年ばかり、僕は休日もなげうって物流の勉強をしているんですけど、最近、ふと思うことがあって。フィジカルインターネットやら無人倉庫、無人運転トラックなどが登場し始めているこれからの時代に、この勉強って役に立つんですかね?」
 
 
知己のマーケターは最近転職した会社について、こんな愚痴を言っていました。
 
「今の会社のマーケティング部門の人たちって、何かあると『でもマーケティング理論では…』って言うんだけどさ。教科書の中身だけで頭ガチガチになっているマーケターって厄介だよなぁ…」
 
筆者は、20年間Webに関わる仕事をしてきました。現在もWebに関するご相談をいただくことがありますが、そのときに必ず添える言葉があります。
 
「『○○した方が良い』という、私を含めたWeb専門家のアドバイスというのは、常に過去の成功事例をなぞったものでしかありません。なので、過去に成功したのは事実ですが、これからも成功するかどうかは分からないんですよ」
 
これって、経営学のみならず、マーケティング理論、Web理論、サプライチェーン理論など、自然科学ではない、経済分野のすべての理論に共通するジレンマです。
 
 
私たちは過去から学ぶことができます。
過去を学ぶことで、先人たちが何千時間、何万時間も掛けて得た知見を、我がものとすることができるのは、とても尊い価値です。
しかし、学びを実践する際には、教科書だけを崇めていてはダメです。
今、まさに自分たちの周りで起きていること、起きようとしていることを観察し、分析したうえで、どのような行動をとるべきか、自ら考えなければなりません。
 
特に最近は、予言めいたものが──Web3.0なんかは、その典型だと筆者は感じていますが──もてはやされているので、ますます迷ってしまいます。
 
日本で、初めて「經營学」(経営学)という名称の授業科目が開講したのは、1926年、神戸高等商業学校(現在の神戸大学)でのことです。つまり、こと日本においては、経営学は100年ほどの歴史しかないわけです。
 
マーケティングの歴史は、1908年、フォードが名車「T型フォード」を発売したときに行った施策が、マーケティングの起こりと言われています。
 
Webに関しては、皆さんがビジネス活用を本格的に考え始めたのは、Windows98が発売された頃でしょう。
 
 
ビジネスのスピードは、どんどん加速しています。
これまでの100年と、これからの100年は、間違いなくスピード感が違います。過去から学びを得ることは大切ですし必須ですが、教科書という名前の過去に囚われてしまうと足をすくわれることもあるでしょう。
 
いつも教科書どおりにコトが運ぶわけではありません。なんのために学ぶのか、その本質を見失うことは避けたいものです。


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