8月も終わろうとしている今、「子どもが夏休みの宿題を終わらせていない!!」とハラハラ(あるいは激怒?)しているお父さんお母さんもいるかもしれません。
夏休みの宿題に限らず、皆さまは宿題についてどう考えますか?
小学生の子どもを持つ保護者に対して行った、あるアンケートでは、9割の人が「宿題は嫌いだった」と答えつつ、「子どもには宿題を出して欲しい」と答えた保護者がやはり9割いたという結果があります。
いくつかのアンケートを拾いながら、子どもの宿題について考えてみます。
「夏休みの宿題アンケート 」(株式会社イオレ 2021年8月5日)を紐解きます。
「夏休みの宿題は子どもにとって必要だと思いますか」という質問の結果をご紹介しましょう。
- 必要だと思う 65.4%
- 必要だと思うが、内容は変えたほうが良いと思う 31.2%
- 不必要だと思う 3.4%
6割以上の方が、夏休みの宿題肯定派という結果です。
次に、「必要だと思う宿題」「不要だと思う宿題」を挙げましょう(複数回答方式です)。
◯必要だと思う宿題
- ドリル 83.8%
- 夏休みの日記 49.4%
- 自由研究 34.3%
- 観察日記 28.8%
- 読書感想文 28.5%
◯不要だと思う宿題
- 習字 37.6%
- ポスター 36.3%
- 読書感想文 30.1%
- 工作 28.3%
- 自由研究 28.3%
自由研究と読書感想文は、両方に入っています。どちらも独創性が求められることが、評価が分かれる原因なのでしょうか?
自由研究のテーマについては、こんなアンケート結果もあります。
◯自由研究のテーマはどう決めていますか?
- テーマは子どもが決める 33.4%
- インターネットで調べる 25.6%
- 家族で案を出し合って話し合う 23.0%
- 自由研究の本や参考書 9.6%
- ママ友や知人からネタを提供してもらう 1.8%
◯自由研究にどのくらいの予算をかけましたか、またはかける予定ですか?
- 0~500円 27.7%
- 501~1000円 38.5%
- 1001~2000円 23.0%
- 2001~3000円 7.0%
- 3000円~ 3.7%
夏休みの宿題、とりわけ自由研究の是非が議論されるポイントは、このあたりです。
論点は、親の経済状況やリテラシーなどが、自由研究を介してクラス内に公開されてしまうことです。
このアンケート結果を診る限り、予算についてはそれほど高額ではありません。(ただし、翌年(2022年)のアンケートでは、「3000円以上掛ける」という回答者が増えています)
むしろ考えるべきは、リテラシーの部分ではないでしょうか?
親が自由研究のテーマ決定に直接的に関与しない、「テーマは子どもが決める」についても、家庭環境は少なからず影響するでしょうからね。
本稿を執筆するにあたり、調べた文献の中には、こんな意見がありました。
「家庭にある本の数と、将来の子どもの学歴や収入に、正の相関関係があることはよく知られている。つまり、それは富の格差や、親の学歴、親自身の学習意欲が、子どもの将来を左右することを示唆している。
だが、それを小学生のうちから、自由研究を通して、クラスメイトなどに知らしめる必要はないのではないか?」
皆さまはどう思いますか?
悩ましいですね…
以下、「38の証言で綴る 宿題是非論」(教育ジャーナル 2002年10月号)を紐解きます。
小学生の子どもを持つ保護者に対して行ったアンケートです。20年以上前の文献ですが…、いえ、古い文献だからこそ、とても興味深いです。
◯宿題は好きでしたか?
- 嫌いだった 92%
- 好きだった 1%
- 無回答 7%
→ その理由
- 九九が苦手だったから。ただし、担任の先生から根気強く指導してもらい、できるようになった結果、苦手だった算数も宿題も大好きになった。
- 友だちと遊びたいし、TVも見たかったから嫌いだった。
とは言っても、「宿題をやらなかった」人は少なかったようです。
◯宿題をちゃんとやりましたか?
- ほとんどやっていた 89.6%
- やったりやらなかったり 7.8%
- あまりやらなかった 0.8%
- ほとんどやらなかった 0.5%
- 無回答 1.3%
ではなぜ、ほとんどの人が宿題をやっていたのでしょうか?
「親に怒られるから」という意見とは別に、「先生が見てくれるのがうれしかった」という証言が、参考記事では紹介されています。
「宿題を見ながら、先生と交わす一言二言がうれしかった」──たしかにそうでした。
ただし、筆者は逆の経験もあります。
小学6年生のとき、担任が、「宿題を提出すると一緒に、ひとつ先生への質問を付け加えてください」と言ったことがありました。
とても人気のある先生だったので、ませた女の子などは、「先生の好きな女性のタイプは?」と聞いたこともあったようでしたが、筆者はあるとき、「なぜお金はあるんですか?」と質問したことがありました。
先生からの答えは、「便利だから」。
それはそうなんでしょうけど…、当時小学生だった筆者は、もっと血の通った答えを欲したわけです。そのことを母親に伝えたところ、先生からの回答をしばらく無言で眺めた後、残念そうに、「先生も忙しかったんだね」と言いました。
結局、その後すぐ、担任は「宿題に質問を付け加えること」を止めてしまいました。ちょっと残念な先生だったのでしょうね、今考えると。
◯今、子どもたちに宿題を出してほしいですか?
- 出してほしい 90%
- どちらでもよい 3%
- 出さなくて良い 5%
- 無回答 2%
→ その理由
- 少しずつでいいから、毎日出してほしい。宿題がきっかけで勉強するようになると思う。
- 宿題があれば、TVやゲームの時間が減ると思うから。
別のアンケートを紐解きましょう。
(保護者の約7割、日常的な宿題は「必要」と回答──意味のある宿題は「研究や調べもの」が最多 )
このアンケートでは、67%が「宿題は必要」、33%が「宿題は不要」と答えています。
ここ、興味深いです。
2002年のアンケートでは、9割が宿題肯定派ですが、20年経った2022年のアンケートでは、宿題肯定派は7割に減っています。
「宿題は不要」と答えた人の意見を挙げます。
- ただこなす学習になっているから 76%
- 同じレベルの学習は意味がないから 30%
- 習い事などの 学校以外の学習をしてほしいから 24%
- 学校での学習で十分だから 20%
- 親が手伝う必要があるから 14%
宿題不要派が増えているのは、多様性の広まりから親の考え方も進化している可能性や、もしかすると学校教育に対する信頼が下がっている可能性もあるのではないでしょうか。
「国は、子どもたちの健康を保持し心身ともに健やかに伸びるようにするために、毎日、毎週、年間の授業時数を決めているのに、その限度を超えて子供たちを可能に追い込むような宿題を出す先生を取り締まろうとはしていない。(中略)
大人の世界ですら、人権尊重の上から労働時間が問題にされているのに、ひよわな子供が、いくら喜んでするからといっても、勉強過剰に陥っているのを得意がっている教師など、考えてみれば薄っぺらな免許状さえもったいないぐらいのものである」
これは、1962年に出版された、「宿題・予習・復習 (授業の技術 ; 第6)」(東井義雄 等著. 明治図書出版)の一節です。
著者は宿題否定派ではあるものの、子どもの自主学習については肯定しています。むしろ、宿題を出さずとも、子どもが自主的に勉強するように仕向け、またそういう子どもが増えていく様子を見て、自身の教育論を正しいものと自負していました。
ところが、別の教育者の宿題に対する考え方に触れ、自分自身を「(子どもが)勉強過剰に陥っているのを得意がっている教師」と卑下し、「薄っぺらな免許状さえもったいないぐらいのもの」と断罪しています。
また、別の教育者の考えに触れ、「子どもには宿題をする権利がある」とも指摘します。
その上で、「自主的家庭学習などと、学習の責任を子供に背負わせて、自分は幕の内に入ってしまうような無責任な教師のあり方は許されない」とも反省してます。
ここまで考えてくれる先生であれば、宿題を出しても出さなくても、子どもには間違いなく良い教育を施してもらえるように感じます。
ちなみに、現在の文部科学省は、宿題について、以下のように定義しています。
- 学習意欲や学習習慣を高めるため、家庭での学習課題(宿題や予習復習)を適切に課し、家庭と連携した学習習慣を確立することが必要である。
宿題肯定派にも、宿題不要派にも、それぞれ一理あります。
ただ確実なのは、宿題が子どもの教育にきちんとした効果を発揮するかどうかは、先生のレベルや取り組み、そして家庭(=親)の取り組みや姿勢が大きく影響するであろうことです。
さらに言えば、先生のレベルが(残念ながら)低ければ、それは親がフォローするしかないことも確かでしょうね。
宿題の是非論、とても悩ましいです。
皆さまは、どうお考えになりますか?