秋元通信

「囚人のジレンマ」をより深く知る

  • 2020.7.31

先日、「囚人のジレンマ」について記事をお届けいたしました。
 
「『囚人のジレンマ』から考える、運賃ダンピング」
 
記事では、「囚人のジレンマ」と呼ばれる心理実験をもとに、運賃のダンピングが行われる心理プロセスを考えましたが、この記事が意外と好評でして…
 
今回は、「囚人のジレンマ」を、もう少し深堀りしてご紹介しましょう。
 
 
 

「囚人のジレンマ」とは

 
「囚人のジレンマ」について、振り返っておきましょう。
以下は、前回記事からの転載ですので、「囚人のジレンマ」を覚えている方は、次の見出しまで読み飛ばしてください。
 

あなたは、犯罪を犯し、牢屋に入った囚人です。あなたは、あなたとともに犯罪を犯した仲間とともに逮捕されました。しかし、あなた方の罪は、まだ確定していません。

あなたを取り調べる検事は、以下のような司法取引を持ちかけてきました。

あなたと仲間が、このまま自白をせずに黙秘をつらぬけば、証拠不十分でふたりは放免される。(牢屋を出ることができる)
自白した場合、司法取引で罪を減刑し、懲役2年とする。
あなたか仲間、どちらかが自白し、もうひとりは自白しなかった場合、自白した方は懲役2年だが、自白しなかった方は、懲役5年とする。
ただし、あなたと仲間は、ふたりで話し合って方針を決めることはできません。お互い、牢屋に入っているわけですから。相手の考えや動向(「自白しようとしている」など)を知る方法はありません。

さて、あなたは自白しますか?
それとも口を閉ざし、黙秘を貫きますか?

この場合、1.、つまりお互いを信じて、黙秘をつらぬくのが最良の手であるのは明確です。無罪放免されるわけですから。
しかし、この思考実験では、多くの人が2.、を選ぶことが分かっています。

 
イチかバチか、最善の結果を得られるように、チャレンジした結果、最悪の結果になるくらいならば、確実な次善の結果を求める。
そう考える人が、多いのです。
 
 
 

「囚人のジレンマ」は、協調を生まないのか?

 
「囚人のジレンマ」からは、人の本質が裏切り、もしくは他者への不信感であるかのような印象を与えます。
では、「囚人のジレンマ」は、協調を生むことはないのでしょうか?
 
 
例えば、実際の商取引では、裏切りを前提に取引をすることは、ほぼありえないことでしょう。
ここで言う裏切りとは、「約束した納期を守らない」とか、「納品物に欠陥が存在する」といったことを指します。
 
なぜ「裏切りを前提に取引をしない」かと言えば、裏切ることによるデメリットが大きいからです。
 

  • 取引が打ち切られてしまう。(継続的な取引ができなくなる)
  • 悪評が立ち、業界内で仕事ができなくなる。(お客様がいなくなる)

 
商取引は、企業が存在する限り、継続しなければならないものです。つまり、一連の商取引には期限がありません。
言い換えれば、取引が終わる、その時がわからないからこそ、協調を選択する判断が合理性を持つのです。
 
難しい話は省きますが、「囚人のジレンマ」では無期限の繰り返しが行われた場合、このように協調の選択が合理性を持つことが分かっています。これを、「ナッシュ均衡」と呼びます。
 
また、「相手が裏切ったら、取引を停止しよう」と考えるケースもありますね。
自分自身は協調戦略を選択していますが、相手の出方次第、もし裏切られた場合には、自分も裏切るという戦略を、「トリガー戦略」と呼びます。
 
「あなたが裏切ったら、私も裏切るからね!」という脅し(トリガー戦略)は、人が協調戦略を取る、合理性を裏付ける効果があると考えられるのです。
 
 
 

「信じやすい人=騙されやすい」は、本当なのか?

 
「囚人のジレンマ」は、囚人であるふたりが、お互いの考えを計り知ることができない、つまりコミュニケーションが行えない状況にあるからこそ、成立する心理実験です。
 
もし、ふたりが話し合うことができて、「お互い黙秘しようね。それが一番得だから」とコミットできれば、おそらくお互いに黙秘を続ける戦略を取るケースが圧倒的に多いことでしょう。
 
では本来の「囚人のジレンマ」において、黙秘、つまり相手を信頼するという選択ができる条件とは、なんでしょうか?
 
それは、相手のことを十分に理解しており、相手が自分を信頼し、自分が相手を信頼することを、相手も自分も十分かつ確信を持って理解していることです。
 
なんだか、言葉遊びのように分かりにくいですが…
要は、相手のことをきちんと観察し、分析し、そして行動を見極める能力が長けていないと、「囚人のジレンマ」において、「黙秘をする=相手を信頼する」という選択は、取れないのです。
 
 
実はこれ、研究によっても導かれ、観察されています。
他人を信じることができる人は、他人が協力的か、それとも非協力的か、見極める能力が高いと言われています。
 
つまり、やみくもに相手のことを信じているわけではないのです。
 
 
人のことを信じやすい人は、お人好しであり、したがって騙されやすいと結論付けられることは、よくあることです。もしかすると一般的にはそう考えている人のほうが多いかもしれません。
これらの研究から判ずれば、「信じやすい人=騙されやすい」というのは間違いであると言えます。
つまり、人を信頼する人は、人をよく観察する人でもあるということになります。
 
 
 
人を信頼することは、人に裏切られるリスクを負うことでもあります。
裏切られることが嫌ならば、最初から人を信頼しなければよいのですから。
 
繰り返しになりますが、信頼というのは、相手が信頼に値するかどうか、その材料を観察によって集めることができて、初めて成立するものなのです。
 
 
このように結論づけると、信頼という人の温かい気持ちを、心理学が汚しているように感じる人もいるかもしれませんね。
 
心理学は、人の真実を追求する学問とも言えます。
そして、往々にして心理学は、人が備える汚い一面、見たくない本性のようなものを明らかにしてしまいます。「囚人のジレンマ」は、その一例です。
しかし、得られた研究結果は、ひとつとは限りません。そう、人が備える真実はひとつではないのです。
そこが、心理学のおもしろいところでもありますが。
 
では、「人を見る目」は、どのように育てればよいのでしょうか。
また機会があれば、このテーマは考えましょう。
 
 
 

参考

 

  • 「ヒューマンエラーの心理学」  (一川誠 / 筑摩書房)
  • 「理解できない他者と理解されない自己 : 寛容の社会理論」 (数土直紀 / 勁草書房)

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