秋元通信

ほめすぎはNG!? 自己肯定感お化けとは?【アメとムチはどちらが効果的なのか?】

  • 2021.4.14

「ねぇねぇ!、Aさんを営業として採用するって、ホント!?
 止めといたほうが良いって! 真面目に、彼女使えないから!!」

 
ある日、私は同僚の女性から、こんなことを言われました。
 
当時、私は、大手IT企業のグループ会社にいました。同僚は、グループ会社向けの営業を担当していました。Aさんは、別のグループ会社の総務で働いていた女性でした。
 
同僚が、Aさんが私のいた会社に、しかも営業として転職することを耳にしたのは、Aさんと同じ会社にいた人から聞いたから。
Aさんは、営業として採用されたことを、職場の仲間たちに、自慢気に話していたそうです。
 
私は、上長にその話をしました。すると、上長は、驚いたように、こう言ったのです。
 
「えっ!?、だって、内定出したの、ついさっきのことだぞ??」
 
不安にはなりましたが、すでに内定は出してしまいました。
Aさんは、私のいた会社に入社してきました。
 
 
不安は的中します。
なんというか…、やることなすことが、すべて的違いでした。
 
例えば、あるお客様で、キャンペーンを行うことになりました。すると、Aさんは、十数時間も残業して、キャンペーンのための景品を選んでいました。
当時、私のいた会社は、Webサイトを作ったり、Webアプリケーションを開発する会社です。営業として行うべきは、キャンペーン用Webサイトとアプリケーションの見積もりをお客様に提出し、そして受注を獲得することです。
しかし、Aさんは、見積書を放り出し、受注獲得も放置しているのに、キャンペーン景品の提案書だけは、お客様に提出していました。
 
 
こんなこともありました。
私が、Aさんを同行し、別のお客様と商談を行っていたときです。
雑談のなかで、お客様が、こんなことを質問してきたのです。
 
「他の会社って、商談時に出す、お茶とかコーヒーとかって選べるんですか?」
 
そのお客様では、お客様との打ち合わせ時に出す飲み物を、お客様の好みを聞いてから出したほうが良いのではないかと考えていました。そこで、私に限らず、打ち合わせで訪れた各社の営業たちに、他社の事情をヒアリングしていたのです。
 
その後、本来の商談に移ったのですが、商談中、明らかにAさんの様子が変でした。もじもじして、何やら言いたげで、商談内容など上の空のように見えます。
 
「どうしたの?」、尋ねた私に、ここぞとばかり、Aさんは言いました。
 
「さっきのお茶の話、していいですか?」
 
結局、Aさんは、本来の商談を遮り、雑談に話を戻しました。
そして、かつて総務にいた頃の経験を語り始めたのです。
 
私がAさんを同行させたのは、OJTの一環でした。
Aさんが、本来の商談をさえぎってまで、雑談に話を戻したのは、明らかにおかしな行動でした。営業としての資質以前に、「場を読めない不思議な人」でした。
 
ただし、その時の私はまだ、Aさんの中にある、本当の課題に気がついていませんでした。
そこで、このようにAさんをほめてしまったのです。
 
「さすが、総務出身だね。経験に基づく、良いアドバイスだったと思うよ」
 
大失敗でした。
Aさんは帰社するやいなや、このように言い出したのです。
 
「お客様に対し、打ち合わせ時に出す、飲み物の選択についてもっと詳しく説明したいのですが」
 
おいおい…、私は困りました。
Aさんが私に同行したのは、入社してしばらく経った頃でした。
すでに営業として、的違いの行動を繰り返すAさんは、社内のみならず、Aさんが担当する一部のお客様からも問題視されていました。私がAさんを同行したのは、営業として再教育することが目的だったのです。
 
「いやいや、まず商談記録を作成してよ。そのうえで、あのお客様に対する次のアクションプランを検討しよう」
 
すると、Aさんは平然と、このように答えたのです。
 
「書けないです。お茶の話が気になって仕方なくて、他の話は耳に入ってこなかったので。でも、お客さんも、私のアドバイスに『ありがとう、参考にします』って言ってくれましたよね」
 
Aさんは、ほめられることに異常反応する人だったのです。
前職、つまり総務として働いていた頃、Aさんは同僚たちから「使えない人」として、能力を疑われていたことを自覚していました。
 
「私は、他の人からほめられたことをしているだけなのに、なぜ、皆は私のことを見下すのだろう?」
 
ずっと疑問、そして不満を感じていたAさんは、営業に転職することを思いつきます。営業であれば、お客様の喜ぶことを第一に考える、自分自身の良さが発揮できるのではないか、そう考えたのです。
 
ところが、Aさんは重大な勘違いをしていました。
「自分がほめられたこと」、もしくは「自分がほめてもらえる可能性のあること」は、お客様の利益とは必ずしも一致しないことを、Aさんは理解していませんでした。
 
やがて、Aさんは会社を休みがちになります。
適応障害、Aさんが提出した診断書には、そのように書かれていました。
 
例えば、お客様のためにと思って、飲み物の選択について、提案しようとしたAさんを止めた私。
例えば、あることではほめてくれたのに、一方で「営業として頼りない」として苦言を入れたお客様。
 
Aさんの中では、そういった不満や、自己矛盾が蓄積し、心が耐えきれなくなっていったのでしょう。
結局、Aさんは退職することになりました。
最終出社日、私はAさんを連れて近くのカフェに行きました。とりとめもない雑談をした後、私はAさんに伝えたかったことを話しました。
 
「君が営業として適正がないことは残念だけど。だけど、過度に自信を失くす必要はないからね。営業として評価されなかったAさんと、Aさんの人格は関係ないからね。
Aさんのすべてが否定されたとは思わないで欲しい」
 
すると、Aさんは、このように答えたのです。
 
「分かっています、言われなくとも」
 
自信と自負を隠さないAさんの表情を見て、私は思いました。
また、私は失言をしたかもしれない…
 
Aさんを慰めるつもりだったのですが、私の発言は、Aさんの勘違いを加速させたのかもしれません。
 
 

「自己肯定感お化け」とは

 
Aさんは、なぜこんなことになってしまったのでしょうか?
 
ただの変な人? 単に性格が悪いだけ?
 
Aさんは確かに困った人ではありましたが、いわゆる「嫌な人」ではありませんでした。
友だちになれるか?、と問われれば、答えに窮しますが。飲み会のときなど、仕事外では気持ちの良い一面もありました。
 
Aさんの感情と行動には、いくつか特徴があります。
 

  • 人にほめられたいという意識が強く、異常なくらいにこだわる。
  • 他人に注意されること、自身の行動や考えを否定されることが苦手。
  • 一度こだわり始めると、他のことが目に入らなくなる。
  • 自己評価が高く、他人からの評価とのギャップに、強い心的ストレスを感じてしまう。

 
実は私自身、この記事を書くまで、Aさんの課題がどこにあるのか、うまく説明がつかずにいました。
ネタ集めの一環として、いくつかの文献をあたるうちに、「自己肯定感お化け」というキーワードと出会います。この言葉を知って、初めてAさんのことを少し理解できた気がしています。
 
 
「自己肯定感お化け」、この言葉は、ある中学校の先生が書いた記事に登場します。
先生は、このように語ります。
 
「近年、さまざまな若者たちと接していると、『その自信は、いったいどこから来るの?』と思わず感じてしまうことが増えてきました」
 
先生は、このような若者を称し、「自己肯定感お化け」と呼んでいます。
自信というよりは過信、時には虚勢を張って、自分を必死になって守っているようにも見える、その様子。
先生は、「自己肯定感お化け」にとりつかれた若者たちの自信満々の話を聞きながら、その心のなかに、他者の意見や発想を頑なに拒否する閉鎖性を感じると指摘します。
 
 
 

なぜ、「自己肯定感お化け」が生まれるのか?

 
「自己肯定感お化け」誕生の一因には、行き過ぎた「ほめる子育て」が背景にあると考えられます。
ほめる子育てとは、自己肯定感を重要視する教育方法のこと。
自己肯定感は大事ですが、行き過ぎた「自己肯定感の育成」=「ほめる子育て」は、自分自身が好き過ぎる、勘違い人間になってしまいます。
 
人は、社会に属し、家族を含めた他者との関係性の中で生きる生き物です。
良くも悪くも、他者の存在は、自身にとってのストレスになります。ただし、このストレスは必要なものです。なぜなら、他者、もしくは環境から適切なストレスを受けることで、人は社会のなかで、最適なポジションを自ら見つけていくことができるのです。
 
例えば、幼くして兄弟から引き離された犬や猫の中には、大人になっても噛み癖が消えない子がいます。兄弟がいれば、強すぎるチカラで噛みついた時に、兄弟から怒られます。また、自分自身が強く噛まれることで、強く噛まれると痛いということを学びます。
 
叱られる、他者から拒絶されるなどといったネガティブな出来事は、その瞬間だけを見れば、本人にとって嫌なことでしかありません。
しかし、長い目で診れば、ネガティブな経験も、社会適応能力を身につける大切な栄養なのです。
 
行き過ぎた「ほめる子育て」によって、自己肯定感が肥大してしまった人は、否定されることに慣れていません。むしろ、ある程度成長し、自己肯定感が確立してしまうと、否定されること、注意されることが、「私は間違っていない」という反発につながり、自己肯定感の補強に使われてしまう可能性もあります。
 
 

ポジティブな感情とネガティブな感情の黄金比、「ロサダの法則」とは

 
ロサダの法則というものがあります。3:1の法則とも呼ばれています。
これは、ポジティブな感情とネガティブな感情の比率が、3:1の時に、人は最適な幸福を得ることができるというものでです。
 
ロサダの法則そのものには、批判もあります。
人の幸福に絶対値はありません。同様に、ポジティブな感情、ネガティブな感情も数えることも難しいでしょう。
何をもって、3:1という比率を導き出したのか?、という批判です。
 
ただし、「ネガティブな要素(経験や感情体験など)もないと、どうやら幸福はつかめないらしいよ!」という点は、間違いないでしょう。
 
「ほめる教育」に関して言えば、ほめられる経験だけでは、適切な社会性を身につけた人格は形成されないということです。
 
ルールを破ったときには、叱られること。
他人を傷つけたときには、応酬を受けること。
 
こういったネガティブな経験も積み重ねないと、困った人格が形成されてしまうこと。
 
言われれば、しごく当然のことではあるのですが…
 
 

「ほめてはいけない」

 
アドラー心理学では、ほめることの危険性を訴えます。
ほめるという行為は、上目線から相手をコントロールし、扱いやすく都合の良い人間に仕立ようとする行為だと考えているのです。
 
では、「ほめる」の代わりに必要なものはなにか?
それは、「承認」だと言うのですが。
この、「ほめる」と「承認」の違いについては、次号でお届けしましょう。
 
 
冒頭のエピソードに戻ります。
 
Aさんの最終出社日、私は、Aさんが自己否定に苦しんでいると思いこみ、Aさんを慰めようとしました。
 
しかし、Aさんから返ってきた言葉は、「分かっています、言われなくとも」でした。
 
もしかすると、私はAさんに対して、良い人でいたかっただけかもしれません。
もしかすると、Aさんは、私の発言によって、「やはり私は間違ってはいなかった」とさらに自己肯定感の鎧を頑なにしたかもしれません。
 
難しいですね、こういうのは。
Aさんは、どこかの職場で、しっかりと働くことができているのでしょうか…?
 
 
 
 

連載【アメとムチはどちらが効果的なのか?】

 

  1. 「アメとムチ」は、どちらが効果的なのか?
  2. 褒めると損をする!?事故が減らせない運送会社
  3. 「叱る」の役割
  4. 怒りながら叱るのはダメ?
  5. 怒りを抑える方法
  6. 「楽しい仕事」はNGなのか?

 
 
 

参考および出典

 

  • 「ほめる」から「承認」へ (特集 「ほめて失敗した場面」を振り返る)
    新元 朗彦
    月刊学校教育相談 / 学校教育相談研究所 編

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